気の毒な家族

今日のAERAに夫婦間BtoB取引で円満という記事が掲載されている。
実はこれと同じことをやっている家族を知っており、気の毒だな、と思っていた。が、どうやら全国に増殖中らしい。

個人的な考え(ブログってそんなもんでしょうけど)ですが、家庭内って経済原理を働かせちゃいけない唯一の環境だと思います。なぜか?
あなたは親に自分の養育費を払いましたか?ほとんどの人は払っていないと思うんです。なぜならば、先祖代々の回り持ちだから。そして、家庭がいい時も悪い時も子供には親はできるだけのことをしようと努力したと思うのです。

私は家で子供に学校と違う見解を教えることがあります。例えば家事の分担です。子供は学校で、作業を公平に分担するように習ってきます。それを家庭に当てはめると、犬の散歩は誰々、風呂の掃除は誰々、などというようにバランスを取って仕事をアサインすることになります。それを厳しく禁じています。
なぜならば、そこには家事はイヤなものであり本来は誰もやりたくないのだ。やるからには公平に負担する、という発想が見えるからです。まさに経済原理です。

じゃぁ、どうするか。気づいた人、手がすいた人間がやるべきだ、ということにしています。テレビ見て寝転がってるんだから、風呂でも洗ってきてね、お兄ちゃんは塾行ってるしさ。私も手がすいていたらやります。
家の中は善意と愛情が管理する環境のはずです。トイレが汚れてる、と気づいた人が掃除するのです。一人暮らしなら、そうするでしょう?自分と同じように家族を愛するのではないのですか?
家庭内で金を払いあう家とは、お互いがすることに「ありがとう」とか「おいしかったよ」と感謝しあう、無形の報酬のやりとりがない家なんじゃないかな、と思います。すべてを金に換算することがwin winの関係だなんて思えないです。

もう一点、私の職業はエンジニアです。家庭を運営していくという目的を考えた時、役割分担という名目のもとに一人の人間しかできない仕事があることに、ものすごい不安を抱きます。冗長性がないのは非常に危険です。たとえば、先日、家内が入院しました。しかし私の家では短い間であるならば、全員で家事をカバーできます。フェイルセーフが働くのです。もし、がっちり役割分担してしまっていたら、入院した家内を恨むことしかできなかったでしょう。このブログを見ていただければおわかりいただけると思いますが、ビジネスには人の3倍うるさい私ですが、家庭という組織に経済原理を持ち込んではならないと思います。

またAERAの例に戻ります。弁当が400円だっとしましょうか。AERAの弁当900円との比較の例はずるく、ウチの近所では250円で立派な弁当が売られています。それよりプアな弁当が400円。じゃぁ、買わない。今日はマックのバリューセットにするわ。メンドクサイ弁当箱ついてないし。
セックスについていえば、もっと情けないことになります。同じ女じゃイヤだ。今日は風俗いくか。5000円あれば充分遊べるぜ。逆に奥さんが5000円で他の男に体売ってもいいんでしょうか。
極端だと思うでしょう?でも、お金に換算していると、外のものと比較可能となります。それゆえ必ず「もっと、もっと」になるんです。

これが家庭ですか?さっさと解散してアカの他人になり、養育費の授受という金の関係になったほうがいいと思います。
私にはいくらポジティブ風な味付けをしようが「家庭の意味を見失い、お金に負けた人達」としか見えないです。

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