雑感(日記)

ホセ・ムヒカ氏を悼む

2025年5月13日、享年89歳で元ウルグアイ大統領ホセ・ムヒカ氏は亡くなられたようです。
彼が国連の演説で有名になったのは、ほんの6年前でした
彼を知ってから私は時々、彼の訴えをYoutubeで見ます。

彼は「貧しいのではなく、質素に生きている」といいます。
彼は「あなたの時間を友人や愛する人や子どもたちや愛する人のために使ってください」といいます。
理由は「愛がない人生は無意味だから」

「カネさえあればなんでもできる」は愚かな意見です。
ムヒカ氏があげた人生で大事なものは売っていないのです。
「カネを出して買えるものは、売り手があってこそ」という当たり前の事実に気づいてください。

少し形而上(スピリチュアル)なことを書きます。

人はなぜ生まれてきて、死んでいくのでしょうか?
人類が始まって以来、問われ続けてきたこの質問にはある程度の答えがあります。
別に宗教に頼る必要はありません。死の淵から生還した人、前世の記憶をもって生まれてきた人、そういう人々の話は書籍としてたくさんあります。「非科学的だ」という人は私の個人的な見解では思考力が弱いと想います。死後の世界を垣間見た人々の証言を読み、科学がどこまで自然を解明しているかを知れば、あまり矛盾がないことに気づきます。
少なくとも言えることは「私達は物質として生まれ、死んだらそれっきりなにも残らない」わけではないのです。
もちろんこの意見に人生をかけてもいいと想います。
自分と外界を区別し、自分だけを信じる孤独の中で自分の評価は周囲からの称賛やうらやまれることにおき、人生は稼いだカネで決まると考え、他人を騙し、陥れ、利用し、自分さえよければいいという生き方をしてもいいのです。
世界はそれも可能なようにできています。

しかし「自分の中に魂というものが存在し、人生は結局は魂が目指す方向へ展開していき、外界と自分は密接につながっている」と感じるならば、「自分のために美しい生き方をしたい」と考えることになります。なにが美しいかは自分が基準となります。
他人がどう評価しようが関係ありません。ヴィンセント・ヴァン・ゴッホのように生きている間には一枚しか絵は売れず、死後、どれも人類の至宝となる人もいるのです。他人の評価を気にしていたら、ゴッホのような生き方はできません。そのゴッホに影響され「わだばゴッホになる」といった棟方志功もいます。おそらく他国にも同じような芸術家はいることでしょう。

これは人生観ですから、生き方、仕事にも関係します。

どんな生き方でもいいと思います。そのバリエーションこそが宇宙の望んでいることですから。
でも、個人ベースでは自分が考えた結果の生き方なのか、小学校で習った「常識」という他人からのお仕着せの生き方をするのかは明確に選ぶべきです。
そうでないと死が訪れた時、自分の人生に納得しないままこの世を去ることになるからです。

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