雑感(日記)

肩書がないと自信をもてない人

世の中に乱立する資格を取りたがる人を見て、笑ってしまうことがあります。

取って意味ある資格

もちろん資格がないとできない仕事はあります。以下のような資格。

  • 公認会計士 – 会計事務所を持てます
  • 税理士 – 税理士事務所を持てます
  • 社会保険労務士 – 保険事務所を持てます
  • 行政書士 – 行政書士事務所をもてます
  • 司法書士 – 司法書士事務所をもてます
  • 弁理士 – 弁理士事務所をもてます
  • 中小企業診断士 – 経営コンサルタント事務所をもてます
  • 土地家屋調査士 – 土地鑑定事務所をもてます

以下は使えるけれど、どこかの会社に所属しないと仕事が入らないため独立はできない資格。

  • 日商簿記 - 経理の基礎
  • 宅地建物取引士(宅建) – 不動産屋は資格者を置かねばならない
  • ファイナンシャルプランナー – 主に金融機関
  • ITストラテジスト – 主にSIer
  • インテリアコーディネーター – 主に建築事務所
  • MOS(マイクロオフィススペシャリスト)- 事務所

どれも簡単ではありません。それなりに勉強しなければ取れません。

取っても商売にならない資格

ところが、取得しても「世間からまったく評価されない資格」が乱立しています。

  • アロマ検定 – 商売すると薬機法違反になります
  • ◯◯カウンセラー – 一日コースから数年がかりまで、ばらつきが多すぎます
  • ◯◯ソムリエ
  • お茶・パンなどの認定(ティーチャーディグリーとか)- これこそ無意味

「えっ」と起こる人もおられるでしょうけれども、上記の資格はなにか関係する仕事をしていて、名刺になにか書きたいから取るような資格ですし、資格スクールと認定団体が同じ経営母体なものばかりです。
カウンセラーは二次被害(相談して症状が悪化)が出ているので国が重い腰をあげて「公認心理師」という資格を作りました。

趣味の延長の資格っていくらでもありますよね。

  • 世界遺産
  • 漢字検定

こういう資格とアロマやソムリエやお茶はなにが違うというのでしょうか。

資格ビジネスに気づこう

ところが世の中の、残念ながら女性に多いように見受けるのですが、無意味な資格を取ればなんとかなると考えておられる方が多いようで、資格スクールのカモとなっています。

典型的な例がホメオパシーの専門家と称するホメオパスの学校です。
日本では日本学術会議が2010年8月24日にホメオパシーの治療効果を科学的に否定する会長談話を発表しました。この談話では、ホメオパシーは科学的な根拠がなく、治療に使用することは厳に慎むべき行為であると述べられています。

ここまで言わないと信じ込んで医師の診断に楯突く人まで出てきたからです。
イギリスでどうであれ、ここは日本です。ホメオパシーのような不安定な結果しかないものを医療行為として認めるわけにいきません。
ところがホメオパスの学校は数百万円の授業料を取り、独自の資格を与えています。まったく稼げません。

科学的にはまったく間違っているマクロビオティックもいろんな資格が乱立し、誤った栄養学を広めています。

資格ビジネスに頼ってしまう人

なぜこういうことが起きるのでしょうか?

それは3つの理由があると思います。

ひとつはお人好しで「識者を盲信してしまう」。団体から習うことで「間違いない」という安心感を得られるのでしょう。でなければエセ科学を真剣に学ぶ行動に説明がつきません。

もうひとつは「ひょっとしたらマジメに勉強しなくても大儲けできて、費用を回収できるかもしれない」。
悲しいことにビジネスのイロハを知らない人がやる講義をいくら聞いたところで、都合のいい話ししか出てこず大失敗するに決まっています。類似資格の卒業生全員がライバルだとわかっているのでしょうか?ビジネスは人と同じことをしていたら、値段を下げるしか特徴を出せない厳しい世界です。
それはフランチャイズという名前でカモに一身にビジネスリスクを押し付け、ロイヤリティと称してぼったくっている商法(たとえば食パン)を目の前で見ても、まだわからないようです。

なによりも大きい理由は「なにかの団体に属していてそれなりの肩書をもっている」ということではないでしょうか。
今まで概観してきたように資格なんて運営団体は怪しいものも少なくありません。
極端にいえば、私やあなただって資格を作ることは可能です。そういうことを考えたこともないのではないでしょうか。

もちろん、自分の趣味についてもっと知りたいという思いでこういうスクールに行くのは、とても健全だと思います。
しかし現実は目を血走らせて真剣になってしまっている人がとても多いのです。相手が詐欺まがいのことをやっていることに気づかず、真剣に質問なんかしている人を見ると気の毒でなりません。

表彰

逆のパターンもあります。ベストマザー賞の評価が揺れました。
理由は、2022年に広末涼子さんが受賞したことにあります(私個人は不倫は当事者間の問題なので、騒ぐ周囲のほうがみっともないと思ってます)が、その表彰団体の日本マザーズ協会がどうもわからない団体のようです。

こういう場合、表彰することで自分たちの権威を高めることに使っていることになります。載せられているマスコミはアホとしかいいようがありませんが。

つまり肩書をもらいたがるほうも、与えたがるほうも、気になるのは周囲の目という面もあるのです。

肩書でしか判断できない人

とくにマスコミ関係者に多いのが、こういう人。
眼の前にいる人をよく見ようとしない、感じようとしない。
言い換えると人と会うくせに人に関心がない。自分に得になりそうな部分、利用できそうな部分をもっているパーツとしか考えていない。もらうことしか考えていない。

ただただ「え、なにしてるんですか?どう呼べばいいんですかね?」

そういう質問自体が「私は馬鹿です」と言っているようなもんなんだがな。

会社の肩書を俺のものだと思っている人

男性でも大同小異です。

私は見たことはありませんが、◯◯会社代表取締役 という名刺を持って歩いている年寄がいるそうです。

こういう人は極端かと思いますが、たまたま運良く(本当に出世は運です!)肩書がついて、それを自分のものだと思っている人が多すぎます。

理論的に考えれば会社の経営陣とは株主から経営を託されています。
しかし日本では株主がなにも言わないことと、なぜか雇われ人が経営者に化けてしまうことが普通に行われているので、経営者の儚さを知るチャンスが少ないです。

結果、「俺は実力でこの肩書を勝ち得た」くらいに考えています。
しかし、たとえ代表取締役であろうと、先輩から譲り渡され、やがては譲り渡すものです。
なにしろ永遠の命をもった人はいませんから。

つまり会社の肩書は、創業者という初代の例外を除いて、みんな借り物なのです。

にもかかわらず、リタイアする年齢になり肩書がなくなった途端におろおろする老人が多すぎです。
いったい若い時からなにを考えてきたのか。

今、自分がなにをしているかが重要なことなのだとなぜわからないのだろうか。
わかっていても、なにもないから過去にすがるのか。

肩書や資格がないと不安な人というのは、今の自分に自信がないのです。
ブランド物をたくさん身につけ、からっぽな自分を隠そうとすることと同じです。

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