雑感(日記)

日本のIT系会社の事業がうまくいかない理由

木村 岳史の「極限暴論」は「米国ベンダーに便利使いされるSIer、「過去からの要求」にとらわれた日本に先はない」は日本企業の根源的な問題を書いている。

要約する.

日本企業とアメリカのITベンダーのビジネスのやり方を比べるとまったく違う。
アメリカのITベンダーは圧倒的に「シーズ志向」だ。新しい製品やサービスを次々に生み出し「素晴らしいだろ。ぜひ使え」と客に売り込む。
ChatGPTなど生成AI(人工知能)の「母国」は当然のように米国だ。

日本企業は「お客さま起点」「ニーズ志向」である。そこには新しい主張もなければ、マーケティングの努力は必要ない。
日本では、「お客さまに寄り添う」と称し、個々の客の御用を聞きその要望通りにシステムをつくり、お守りまで引き受ける。
日本ではベンダーもお客もシステムトラブルなどを極端に恐れ、枯れた技術、要するに競争力の落ちた古い技術を使う。

もうIT業界に40年以上いるけれども、イベントで日本企業のエライさんの講演はいくつかの例外を除いて聞く価値がないと思っている。
例外とは、ETCを作ったとか、競馬投票システムを作ったとか、本当に日本オリジナルなものを作った話。流行などにかかわらず現場の知恵があり、興味深い。

他の、やれサービスオリエンテッドだのDXだののトレンドは外資系企業のプレゼンの焼き直しを、さも自分の考えかのように話しているだけ。
サラリーマンとして気持ちは理解できる。ひとりで考えてユニークなことを言っていても無視されるか、場合によっては恥をかくから。

また、日本のITの研究は遅くて成果が出ない。たとえば自然言語分析は何年も前から東工大の奥村研究室というところが日本語を分節に分割するプログラム程度で得意になっていた。役に立ちそうなことをやっていれば助成金がもらえ、おいしかったのだろう。
ところが日本語の壁で守られていたはずなのに、Google日本語翻訳などが海外から持ち込まれ、多言語対応などしているものだから、日本語だけを相手にしていた低レベルな研究の価値は怪しくなっていた。
ChatGPTなんて出てきてしまって、日本語を流暢に操り数十年先をいってしまっている。東工大なんかで時代遅れの研究なんぞやっていていいのか?学生が迷惑だ。

たまにネットでIT系の修士論文を読むが、高専の卒業研究のほうが論文としては高度だ。他のジャンルはともかく、ITやコンピューターサイエンスについて多くの大学の教え方、指導のレベルが知れる(除く東大。東大の研究は世界レベルなものがいくつかある)。

今のAIもそうだ。やれ教師あり学習だ、なし学習だ、(という考え方自体が海外からの輸入)とかGoogleが無料で使わせてくれる程度のAIエンジンを使えることで得意になっていたら、いきなりchatGPTが現れて、そんな話はどうでもよくなった。
Googleも研究していた製品をマジで出さざるを得なくなった。Googleが無料で使わせているAIエンジンは試食みたいなものだと、過去、どこかに書いた。
「AIが真っ先にクビにしたのは、なんちゃってAI技術者だった」ってこと。

この技術開発のスピードの遅さと、問題はさらにある。

それは日本人のシステムへの過度な信頼だ。
24時間オンラインのシステム(例えばネットバンク)があるとする。
日本人の一般の考えでは年間5分程度のダウンじゃなきゃ気がすまないのではないだろうか?

だとすると99.999%の信頼性となる。銀行はあまり落ちてもらっても困るが、もっと気軽なシステムでもそれくらいの可用度を求めていないだろうか。
そうすると先進的な技術よりも、ダウンしない「枯れた技術」が好まれてしまう。
そこまでの可用性を求めると、あらゆるリソースに冗長性が求められ、コントロールソフトも高価になって、高価になっていく。
スマホでなんでもできるようにしようとしても、スマホのソフトだってバグはいっぱいある。
トラブルを笑って許すか、ふざけるなと怒りまくるかの社会の受け入れ方の違いに注目したい。

みずほ銀行がシステムダウンを何度か起こした。あの時の日本のマスコミの論調はやはり「システムダウンなんて問題外だろう」みたいな論調しかなかった。
しかし、メガバンクが30年ぶりにシステム刷新をするということがどれだけ大変なことか、みんな考えない。
IT業界では「サクラダ・ファミリア」なんていう渾名がつくほど規模も大きく複雑なシステムだ。(だから、いいとは言ってないからね)
それを作り上げただけでもたいしたものだ、という意見が皆無であることが気になる。新しいものを「なんとかして」100%信頼できるシステムにしろなんて無茶な話だ。みんなもう忘れているだろうが、みずほ銀行はシステム移行のために、何度か閉店している。もちろん新聞に公表されたように銀行自体が問題をかかえていた。
それでも現場の人々は、できる範囲で一生懸命やった証拠はいくつもある。

ダウンだけを数えているならば、どんなシステムもクズだということになる。NASAなど、どう評価すればいいのか?

このように

  • 世界レベルの技術を追求しない日本のITベンダーや研究者
  • システムの利便性を評価せず、トラブルを悪とする日本のマスコミと世論

日本のIT会社が新しい技術を開発し、お客の問題解決に応用するなんて、ありえないのだ。

最後に別の話を書きたい。

以前書いたようにP2Pの研究者の金子さんを逮捕して最高裁までいじめつづけた京都府警という存在もあり、ドローンは人が住んでいるところでは航空機なので禁止などの例があるとおり、日本は新技術の悪い点を見つけたらすぐに規制することで満足してしまう。
今の日本は、新しいナイフは取り上げて料理は手でちぎって作れ、という風潮ではないだろうか。

規制をかいくぐった例を見てみよう。

みんなが大好きなLINEがそうだ。
LINEはスマホの電話帳を勝手に見て友達申請を勝手にやっていた。
あれには日本でかなりの批判の声があった。もし、LINEが純然たる日本企業だったら、世間の批判に耐えられず辞めてしまっただろう。そうすると、今のような万人のツールとして行き渡らなかった。

検索エンジンのGoogleもそうだ。検索ロボットはインターネットを巡り歩きインデックスを自社のデータセンターに蓄える。日本ならば「無断コピーだ、著作権違反だ」でとっくに京都府警に逮捕、送検されていたことだろう。

このように日本は新しい技術のマイナス面を暖かい目では絶対に見ない。よってたかって潰す。
アメリカは自由を重んじるから新技術もどうやれば他人に迷惑をかけずにできるかを政府が考える。中国は共産党が必要だと評価したらマイナス面には目をつぶる。ヨーロッパはそもそもコンピュータを信じていないから代替手段を確保し見守る。
どの国の政府も大人なのだ。

日本だけが新技術を刑法で取り締まる。とても短絡的だ。
今後も金子さんのような人を犯罪者に仕立て上げ、潰すことにしかならない。
その結果の国益の損害を京都府警は払えるのだろうか?

警察に「サイバー犯罪対策」とかいう部門が出来たそうだ。
もちろん詐欺は取り締まるべきだ。しかし、新技術も警察により犯罪として取り締まられることだろう。
彼らは日本がどうなるかよりも、取り締まりの成果が欲しいのだから。
こんな状況だから、日本がIT技術での立国は不可能だと考える。

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