雑感(日記)

戦争と神

思うことをダラダラと書き留めるので、意見なんぞ見たかない人は飛ばしてください。
と、冒頭で断ったからね。

帝国の崩壊後

ロシアがウクライナに侵略戦争を仕掛けて一年経ちました。
もともとは「ソビエト連邦」という国だったことを覚えている人はすでに年配ですよね。。ソビエト連邦が崩壊したのはおよそ30年前ですから。
首都のあったロシアがその後継の国とされています。
でも理屈の上からはおかしなことで、ウクライナ、ベラルーシ、アゼルバイジャン、アルメニア、ジョージアなどのどれもが後継の国になりえます。

そして国連の常任理事国の席にも当然そうな顔をしてロシアが座っています。
第二次世界大戦後に国連を作って常任理事国とは強くて悪いことをしない国だったはずですが、ロシアも中国もおかしい。
個人的には国連はもう終わりだと思っています。世界平和という最重要課題を解決できないのだから、やめたほうがいい。

歴史的に見ると、帝国が崩壊すると各属州同士の反乱が起きます。お互い以前から言いたかった本音が出て、喧嘩をするのは人間と同じです。

たとえば自民党内最大派閥の安倍派は崩壊しつつあります。そもそも安倍、岸という政治家一家で安倍家には後継者がいないのです。
自民党内でも後継できるような突出した力の強い人間がいないから、ある人は安倍晋三の後継になろうとし、ある人は自分の派閥を持とうと画策します。
今日も永田町では派閥争いが続いているでしょう。それはお互いのスキャンダルを文春や新聞にリークするということで足のひっぱりあいで、時々、表面化しますね。安倍晋三氏が統一教会の窓口だったなどという話も権力の抑えがきかなくなったからリークされるのです。(権力者が亡くなると、たいてい女優の◯◯は愛人だった、などということがマスコミに漏れ出ますよね。)

ロシアとウクライナの戦争も帝国の崩壊の結果起きていますが、国家のあり方も関係しています。ウクライナは西側はポーランドに接しており西側諸国、具体的にはNATOへの加盟は可能性としてはありました。
ロシアのように大統領という名の独裁者に管理され、好きなように殺される全体主義国家ではいたくなかったようです。(だからゼレンスキー氏が大統領に選ばれたのです)
それが今回の戦争でウクライナは事実上のNATO加盟国になりました。アメリカを代表する西側諸国はすでに遠慮なく武器を供給しはじめていますよね。
軍隊は誰もがすぐに兵士になれるわけではありません。訓練が必要です。
ウクライナの新兵の教育はなんとイギリスで行われているようです。それから西側諸国の兵器の使い方を覚え、戦場に行きます。
圧倒的に近代化されつつあります。

なにをもってどちらの国の勝利とするのかはわからないけれども、戦線が膠着したところで和平交渉が行われるのでしょう。
いまやウクライナが占領されて、消える可能性は限りなく低い。

一年前にfacebookに書いたのだけれど、ロシアの大失敗はウクライナを消そうとしたことです。国が亡くなると知れば国民は命を捨てます。
自分の妻子の将来を考えると自分の命は交換に値しますからね。
そんなシチュエーションにすればないが起きるか、「孫氏」に書いてあるのです。「死地即戦」から引用してみます。

軍を敵と戦う以外ない状況に置けば、死んでも逃げない、死ぬ覚悟があれば何でもできるという心構えができる。兵士は力の限り戦うであろう。
兵士は非常な窮地に追い詰められると、恐怖を感じないようになる。逃げ道がないとなれば、心はしっかりし、敵地深く入り込めば、団結し、他に術がなければ、戦う。
だから、兵士は、修練しなくても自らを戒め、要求しなくても成果を挙げ、規約がなくても兵士と上官はうまくやっていくし、命令しなくても思い通り動いてくれるようになる。
勝敗に関する迷信をおがんで負けにいくものはいないだろう。我々の兵士が余分な資財を必要としないのは、資財がおしいからではない。
決死の覚悟をするのは、命がおしいからではない。
決戦の命令が発せられる日には、兵士、下士官の座った者の襟は涙で濡れ、
横になっている者は顎を涙が伝う。
しかし、このような者たちを、逃げようのないような地に配置すれば、専諸や曹剴のような勇士となる。

あなたはこれを読んで自分の中に「そう動くだろうな」という想像力がかきたてられなかったでしょうか?

孫氏は戦争について人類の基本的なところを知り尽くして考察された、ものすごい著作です。

孫氏が成立したのは紀元前500年といいますから、2500年前から人類は進歩しておらず、何度も繰り返されたことが、ウクライナでまた起きています。
戦う前から、今の状況に陥ることはわかっていたのです。
知らないのはプーチンだけか?

もし、ロシアがクリミア半島を奪う程度の強度の攻撃度合いで、ウクライナを追い詰めなかったら、また違ったことになったでしょうね。

国家と国民

戦争の話をする時、私達は国の単位で数え、国民についてあまり考えないと思いませんか?
現実は、突然始まった戦争により、日本にも少なくないロシア人とウクライナ人がいます。
近所にロシアン・パブがあったけど、どうなったんだろう?

ロシアのプーチン氏の決断と日本にいるロシア人はなんの関係もないですよ。別に思想も情報も交換しているわけがない。

同じことは韓国にもいえます。ムン・ジェインの時の韓国の反日は最低でした。
日清戦争で勝った日本が下関条約で韓国を国家にしました。
その後、彼らは日帝と言いますが、世界の中で保護を求めて日本になったのでした。
それが悔しくてたまらないのでしょう。
それでも韓国人と韓国は違います。韓国のように日本を見下す人もいれば、日本人より日本人らしい人もいます。

同じことはアメリカにもいえます。トランプ大統領のような「アメリカのためになることしかしない」という排他的な人もいれば、私の知り合いのようにとっても控えめなアメリカ人もいます。

国家と個々人は分けて考えなければ、正しい結果を得られない、どころか恥ずかしいことだと思います。
一緒くたにして抽象化すれば考える時にラクです。だから、教育のない人間、思考力の弱い人間ほど国家と人を一緒に考えるようです。

私がなぜこんなことを考えるかというと、アメリカのカリフォルニアに仕事で行き、IBMの社員証ぶらさげて短期滞在している間でも、しっかり黄色人種として差別された経験があるからです。
日本にずっと住んでいて差別を経験したことがない人と、海外で差別を経験した人では人生観が違うと私は思います。

差別は経験したものじゃないと絶対にわからないものです。

神と私達の責任

戦争は本当にやっちゃいけないと思います。
戦争をすると決めた人は死なず、死ぬのはカネのない庶民です。
これも昔から変わりません。

一年前、プーチンは戦争をすると決めました。それはウクライナ人を殺すことを決めたことと同じです。
そしてウクライナは当然、抵抗するから同胞のロシア人を殺すことを決めたことと同じです。

彼は人間の母親から生まれたのか、疑問に思うことがあります。
兵士は兵士以前に人間です。人間である以上、父母がいて、慈しみながら育てられますよね。
何歳になっても、親からすれば、子供は子供です。その人を理不尽に殺せることが不思議でなりません。
どれだけ親や遺族が嘆くか。
日本で殺人者に判決でなげかけられる「理不尽のその人の将来を奪う」行為です。

そして戦争が起きると人々は神に祈ります。

神よ、なぜこんな悲惨なことが起きるのですがか。

しかし神の答えはわかっています。

戦争を始めたのはあなたがただ。私は戦争を起こす自由すらあなたがたに与えた。戦争を止めることもあなたがたの自由だ。

そうでしょう?悲惨な状況を作り出したのは我々人類の中のプーチン氏なのだから。

人類はその結果も甘んじて受けいれるしかないではないですか?

キリスト教、イスラム教、オウム神理教、統一教会、すべてに共通していて腹立たしいことがあります。

どれも

よいことをすれば、来世で天国にいける

といいます。
これがどれだけおかしいか指摘する前に、神について少し考えてみます。

この世を神が作ったとします。
逆の言い方をしてみます。
「神とはこの世を作ったもの」のことをいう、と。

この定義は大事で、多くの「神」が実は神じゃないことがわかるじゃないですか。
神社仏閣全部、実は神じゃない。
なぜならば、「この世を作った存在」だとは言われていないから。

この世を作るほどの力をもった存在が、なぜ私達が「よいことをする」ことを期待するのでしょうか?
その存在が期待する「よいこと」だけをする生物を作りたかったらDNAをそのようにすればよかったのです。食物連鎖なんて許さなければよかったのです。
生物は全員バリエーションもなく、青藻を食べるように設計すればよかったじゃないですか。
ところがそうはなっていません。

そしてなによりも人と「よいことをしたら天国に入場させてあげる」なんていうチンケな契約をしますかね?

同じ感覚を知りたいのであれば、世界有数の金持ちのビル・ゲイツとあなたは友達で今度、彼になにかを買ってきて贈りたいとしましょう。

ちょっと考えてみてください。
なにを買いますか? 彼はあなたよりもなんでも買えます。

なにを買うにせよ、なんとなく気まずさを感じますよね。
神と「よいことをしたから、天国にいれてくれ」という取引きをするってそういう気まずさがあって当たり前じゃないでしょうか?

だから神への贈り物は「私達がする体験」しかないのだと私は思います。

それはあなたが楽しくなければ一緒にいる仲間、神も楽しくないに決まっているじゃないですか。
ここからわかることがあります。

神はなにも人と約束しない、する必要がない。

ケチな100円のお賽銭で、あなたの願いを叶える存在は神ではありません。
神社仏閣に祀られた、いわれのある人が作り出した別の「神」です。

なにが起きても神が介入するなんてことはありません。
そんなえこひいきをするほどセコくない。

あなたを試練の場に立たせることもありません。その試練に打ち勝った、負けたで差別するようなセコい存在ではない。

人間の視点でよいことをした、悪いことをした、それを可能にしている神からすればどうでもいいことです。
ましてや「よいことをして天国にいきたい」ときれいに見える言葉も背後には、その人の強烈な「自分さえ天国にいければいい」が透けてみえますよね。

戦争を起こすも止めるも人類にまかされていますが、残念なことに人類のほうが2500年前からさっぱり進歩していない。

と、私は感じて思っています。

あなたはこういうこを読むと胸の中がザワザワしていろんな感情をもつでしょう。
それでいいと私は思います。
子供のころに親や周囲から植え付けられた形而上の思想(神の概念とか)を自分なりに解釈しなおすきっかけになれば、私はうれしい。

繰り返される人類の争い

ウクライナ紛争が停戦(終結するとはとうてい思えない)するとどうなるか?

敵がひとつ減ったアメリカは中国との覇権争いを本格的に始めるでしょう。
その先端にいるのは中国と境界を接している大きい国、インド、台湾やタイと我々、日本だと思います。

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