雑感(日記)

難しい貧困問題

先日「かっぱ寿司半額の日に20時間待ち」の大行列というニュースを見て驚きました。
20時間待つ人がいる!

自分でスーパーで刺し身買ってきて寿司作ればもっと安いと考える人は、お金のことがわかっている人だと思います。
そういう考えをさておいて20時間並んでしまう人がいるのです。

河合薫さんという元CAの健康社会学者がおられます。昔はずいぶんおかしなエッセイを書いていてかなりの顰蹙をかっていたのですが、だんだん学習の度合いがあがり、鋭い洞察をなさるようになりました。
今回、目に止まったのは「「お肉!」と喜ぶ母子と非正規21万人減 見えない貧困急増」です。

この中に「(年間平均給与が)正規・非正規別では、正規503万円に対し、非正規はたったの175万円だ。」とあります。
考えてみれば時給1500円だと年間額面給与は288万円にしかならないわけで、時給1500円ももらっている人はそうそういないでしょう。

ちょっと話が脱線します。
先日、橘 玲氏の『無理ゲー社会』という本を読みました。
この中で彼は「人生を選択できるようになった世の中はつい最近のことだ」と書いておられます。
ちょっと前までは世界中、封建制度で職人の子供は職人になることしかできなかったのです。
私達はその事実を忘れていないでしょうか?
私達は選択の自由を手に入れたかもしれませんが、それは人によってはいらない自由なのかもしれないのです。
脱線終了。

今の世の中に本当に選択の自由はあるでしょうか?
たとえば高校で人生は別れます。
高校生が周囲がみーんな高校を卒業したら働く学校では「勉強して大学にいく」のは変わった子か、とても成績のいい子に限られるのではないでしょうか。
そういう学校ではたいていアルバイトは認められていて、みんな将来よりも今お金を稼いで遊ぶことしか考えないのは当然だと思います。
一方で、中高一貫校できっちり勉強して大学に進み、知的産業に就職する高校生もいます。
こんな大きな環境の違いを子供に本人の努力しだいということは、あまりに酷です。

何度も書いていますが、努力自体が才能だということは証明されつつあります。
誰でもできるなんて本当の努力して成果をあげたことがない人の無責任な妄言です。

とくにイマドキはスマホのSNSでちょっと違う人間をめちゃくちゃに叩くので異なる生き方はできないに近いでしょう。
自分より劣っていると思えば収奪していいと思うし、自分より優れていると思えば嫉妬する時代です。

先の橘玲氏の本のタイトル「無理ゲー社会」は今の日本社会を言っています。
この方、以前までは「人生は攻略できる」なんていう本をお書きになっていたのです。
高卒で社会に出たり、Fランク大学でもいいから行っとけと行ったはいいが奨学金という借金を背負っている人には無理ゲーな社会だということです。

当たり前のことですが、工員などの比較的知識のいらない労働は世界でもっとも賃金の安い国に回っていきます。
繊維産業のころは日本でした。それが中国に移り、バングラディシュやベトナムに移り、そのうちアフリカでしょう。
そうするとかつて国内で働いていた人は職を失います。
付け焼き刃で職業訓練校などに行ったところで、知的能力の高い人に技術習得では勝てません。
これを「先進国の中産階級は没落する」というのです。

国が新しい産業を作り出さない限り、国民の多くが貧困になるのは必然です。
このような状況を自己責任という人は、相当に思考力が弱いか無知だと私は思います。

「パパ活」や「ママ活」なんて言葉が流行っていますが、体を使う売春の相場が劇的に下がっていることを意味することに気づいていますか?それだけ貧困で参入する人が増えているのです。

日本が1200兆円の借金を背負う真っ只中を行きてきた私は思います。
借金ですから、その支払は将来の国民が等しく背負わされるわけです。
選択の自由がありそうでなかった今の非正規の労働者も背負わされるのです。

ところがその借金は日本の既存の社会的使命を終えた企業を支えるために使われたに過ぎません。
新しい産業の育成にも、能力が高くない労働者を救済する方法にも使われず、なにも残っていません。
夕張市のようなどーしよーもない建築物、どうしようもない金融機関が日本各地に残されました。
税金を使うのだから手堅くと考えたのでしょうけれども、イノベーションは手堅いところで発生するわけもなかったのです。

残念だけれども国民の期待とはうらはらに、大量の借金をかかえた日本政府は今更なにもできず貧困層はますます増えていくということになります。
ふと周囲を見回すとこの問題は日本だけではないことに気づきます。

貧困層が拡大している欧州のリアル」という記事があり、著者はかつての覇権国スペインの人です。
欧州で起きているように、日本で貧困層が増加すると貧困層の意見を代表する人々が政治への介入力を持つであろうことは容易に予想できます。
現在の自民党の政治家が考えているよりはるかに厳しい状況に日本は陥るでしょう。

今の貧困層が救済されるためには、まとまった政治への介入力を持てるまで待つしかないのではないでしょうか?
でもその時は3年、4年後のような気がします。
なぜならばこのコロナでたちゆかない産業からはじき出された人により、貧困層は爆発的に増えるからです。
団結を忘れた日本人ですが、追い詰められ、意見を代表する政党、議員が出現したら歴史は再び動くかもしれません。

これは私だけの予想ではありません。
先に出した橘玲氏はヨーロッパを見て「ネオリペ福祉国家(新自由主義福祉国家)」に変貌していて、世界はそう変るのではないか、と言っています。

つまり貧困層をなんとかする国への変貌ということです。
それなくしては、日本は特定の人だけが金持ちのアフリカのような国になるでしょう。

関連記事

  1. ソニーの対応がまずすぎる

  2. え、今晩、大地震?

  3. 自分を支える思考を変える

  4. 日本の家電メーカーにみる大企業の愚かさ

  5. 映画「ランボー ラスト・ブラッド」(Rambo Last Blood)…

  6. 意識と無意識についての妄想

  7. 私が日月神示を嫌いな理由

  8. ライトノベルのお約束と背景