Yahoo!で「依存症だった母親を捨ててわかったこと」という記事を、おおたわ史絵という方が書いておられる。
しばしば大人になれない男をさして「マザコン」というが、世間を見ていると女性と母親の共依存のほうが重度はひどいように感じる。
なぜならば、身の回りの世話をしてもらうとかいうことよりも、モノの考え方や価値観を母親から押し付けられ、それに嬉々として従って人生を棒に振っている女性をしばしば見るから。
なぜ、親に従ってはいけないか、という理由を述べる。
親の育った戦後の昭和という時代はある意味、呑気な時代だった。
高度成長期というが、子供はどんどん増え国内需要はいくらでもあり、アメリカというお手本があり新憲法以下、いろんなことを手取り足取り習い、産業は製鉄、自動車、造船、電子機器の分野でアメリカを追いかければよかった。
今の日本人は知らないらしいが、昭和40-50年代は日本はアメリカの「パクリ国家」だった。
Made in Japanは怪しいモノの代表だったのが、いつしか品質の代表となった。
こういう先生がいて目標がある国は幸せだ。
目標があるから、学校はよい工員を育てるカリキュラムにし、小学校、中学校、高等学校、大学、大学院という段階を作り、学校間格差もはっきりしていて、わかりやすい学歴だった。
その学歴をもとに国策で大きくなった企業に入り、ジェネラリストとして企業の中でキャリアパスを歩んだのだ。
そのため、結婚もお見合いで十分成立した。男は学歴を見れば将来が予想できたし、女はほぼ全員専業主婦志望なので、頭がいいことより健康で愛嬌があることが大事だった。
そして男は仕事にかこつけていればよく、女は家庭で好き放題していればよかった。呑気な時代である。
ところが昭和の終わり、1980年代から世の中は混沌としていく。
1985年から1991年のバブル時代には、日本中がお金をもち、エンパイヤステートビルまで買ったのであった。
金融機関と不動産業はメチャクチャに儲かっていた。
この頃は担保といえば不動産であったため、庶民でも小さな家を買い、値上がりしたら売って、もっと広い家を買うということができたのだ。
その後、バブルは弾けた。
日本の土地の値段が見直され、それほど価値がないことがあきらかになった。
大企業はアメリカと肩を並べたからこそ、その後の将来像を自分で描くことができなくなった。
そういう創造性は戦後の日本では忌み嫌われるべきものなのだ。
銀行が貸したカネを「貸し剥がし」というやってはいけないことをやり、世間の信用を一気に失った。
みずほ銀行がシステムトラブルを起こし「信頼を失った」とか言ってるが、とうに銀行でカネを借りる法人はいない。おそろしくて借りられないし、投資政策銀行や資本市場で調達したりクラウドファンディングしたり資金調達の方法はいくらでも今はある。
よほど世間知らずの企業だけが銀行のカモになりにいく。
コンピューターと通信(インターネット)がこれほど既存産業を潰していくとは誰も考えなかった。
私がIT、いやコンピューター産業に就職したころも、こんな市場になるとは予想もしていなかった。
知っていたらIBMなんかに勤めていなかった。
長期的に見て、やはりIBMはサンマイクロのUNIX、オラクルデータベース、シスコのネットワーク機器とマイクロソフトのウィンドウズの前に倒れた。
もう旬が過ぎ去った企業といってよい。モトローラみたいなものだ。
そして知性はさっぱり進歩しない。アインシュタインの特殊相対性理論は1905年に発表された。100年以上がたつ。
しかし「光速不変の原理」すら一般人は知らない。
なぜこんなことが重要かというと、時間の流れが過去から未来に一方向ではないということを理解できるからだ。
一般的な人類の知性はなかなか進歩しない。
そんな中、専業主婦の女達はバブル以前の価値観のまま、子供を育て、子どもたちは大人になった。
「男は仕事をするものだ」という社会常識に従い、世の中に出ていき仕事をすると、否応なしに現実にぶちあたる。
出身大学がどこかより、実力がないと生き延びられないことを思い知る。
しかし、専業主婦の母親達はそんな実感はないし、あっても特例として都合よく見過ごしていく。
いまだに昭和の女達は50歳過ぎた男の出身大学や勤めている企業名を聞くし、それで相手を評価しようとする。
ロクに新聞も読まないのに、自分が知らない企業は怪しいと決めつける。
世間知らずだからおそらく「(今はない)ダイエーの取締役です」といっても信じてしまうのではないだろうか。
「東芝に勤めてます」と言ったら給料が高いと思ってくれるかもしれない。
そんなアップデートされていない古ーい間違いだらけの価値観でも「こうだ!」と言い切ってくれる母親は娘にしてみたら、とても頼りがいがある存在だろう。
間違っていたっていい。自分が失敗した時、言うことを聞いていれば親が助けてくれる。
その親だって老いる。
なまじっか老いた父親が小金を稼いでいると惨事は先送りされる。
先日、89歳の老医師がいまだに仕事を辞められないというニュースがあった。
理由は娘二人が50歳代シングルマザーで、老医師の病院事務で生きているから。
ふたりともシングルマザーになった理由はおそらく母親が我慢させなかったせいだろう。
この老医師が倒れたら、この娘たちの生活は生活保護へ転落するだろう。
自分が診察してもらったほうがいい老医師に支えられた箱庭で生きている女達に危機意識はないのだろう。彼女たちの頭の中ではパパは未来永劫死なないのだ。
だから子供は世の中の変化についていけない古い考え方をもつ母親なぞ、足蹴にして家を出ていくべきだ。
確かに世間は未知の世界で怖い。
しかし、昭和の母親の古い知識やひとつの会社しかしらない父親の狭い見識が有効活用できる分野は老舗のお菓子、飲食店くらいであってほとんどすべては変わっている。
変化についていけないものは貧乏くじをひくしかない。
貧乏くじをひいたらすぐに考えを変えて再チャレンジするのがイマドキなのだ。
我慢して3年働けとか、成果を出せないのにまじめに働いていれば誰かがみてくれるとか、時代錯誤な誤った道徳観は自身の変化を邪魔こそすれ、なんのプラスにもならない。
同様のことは会社でもいえる。
しばしば会社の管理職がいまでも「部下の育成」などとバカなことを言っている。
育成するということは、今の若者が能力がないから育ててあげるというつもりなのだろう。
本当に愚かだと思う。
今の世の中で昭和の慣習が通じるところはほとんどない。
もっと恐ろしいのは今は慣習が通用しているように見えて、背後の条件が変わっていることだ。
たとえば、インターネットの出現で卸売業は壊滅的になっており、メーカーが卸売を兼ねているのが普通だ。
卸売業の機能はインターネットによる情報共有とコンピューターによるプロセスで必要なくなったのだ。
コロナの出現で従来の御用聞き営業はお客がいやがるようになった。
お客が聞くに値するようなものを先に与えることがグローバルレベルでは主流だ。
こういった中で古い人間が古い考え方で「人を育てる」などおこがましいにも程がある。
よほど真摯に仕事に立ち向かっていたプロでなければ、若者に教えることなどない。
そういう年寄に限ってエクセルが使えないとか、IT機器の設定ができなかったりする。
若者は年寄りの意見を聞いたフリをしてやりすごすことが大事で、言っていることを真に受けてはいけない。
あまり旧態依然の変化できない会社はさっさと去ったほうがいい。
自分が時代遅れになる。
でも、あまり転職していると自分がなんの専門家かわからなくなるので、慎重になるべきではある。
以上、年寄による年寄批判でした。