9年前にポスト資本主義(2)でお金によらない贈与経済について書いた。
この新型コロナウィルス騒ぎで、「ポストコロナ」時代が語られることがよくある。
私もとても気になっている。
BCGのようなコンサルティングファームは既存のビジネス、マーケティングがビッグデータとAIで高度化するとあいかわらずいう。独立しているコンサルタントのほうが思い切ったことを描く。
このコロナ騒ぎが収束したら世界は元通りになると期待することは正しいだろうか?
そもそもウィルスとの戦いを忘れがちなだけじゃないだろうか。狂牛病、SARSと続いていたじゃないか。
それでも恐慌論は論外だ。
1930年に起きた大恐慌、1987年に起きたブラック・マンデー、2007年のリーマンショック。
景気と雇用に大変化はあったけど、だんだん民間へのショックが減っていることに気づかないだろうか?
これは世界中の政府の努力の賜物なのだ。
日本でもすでに銀行の取り付け騒ぎは実質上、起き得ない。預金保険機構があるから。
恐慌が起きる、銀行の取り付け騒ぎが起きると騒ぐ無知な人々の話しはスルーしておいていいと思う。
日本は「失われた20年」「失われた30年」といわれ、他国より一人あたりGDPは低く、給与水準は先進国で最低となってしまっている。
起きている現象を振り返ってみる。
まず、インターネットが大きい理由のひとつだ。
情報と共に労働の流動性がメチャクチャにあがった。日本から中国、東南アジアに工場が出ていったことは多くの人がご存知だろう。
そうすると、日本国内で似たような仕事をしている人の賃金があがるわけがない。
海外でやってくれる仕事の範囲が広がれば広がるほど、日本の労働者の賃金は上がらなくなる。
これは「中産階級のジレンマ」として知られている現象だ。
二番目が日本の産業の行き詰まり。
テレビで「スゴイですね、日本」とか「日本の高度な技術が」とか「トヨタ自動車が」とか言っていても、日本を潤すような「産業」がない。アメリカやドイツはコンピューターのソフトウェアに活路を見出した。
エストニアや中国やインドも必死だ。
日本企業は従業員をリストラし、内部留保を増やし生き延びようとする。
たまたまコロナ騒ぎが起きて、その内部留保もかなり使わざるをえなかったことだろう。
ジャック・アタリが言うように「 自動車、航空機、工作機械、ファッション、化学、プラスチック、化石燃料、ぜいたく品、観光などを中核とする現在の経済モデルは持続的でない。」
環境破壊とマーケティングで似たようなものを手を変え品を変え売りつけて古いものを捨てさせるビジネスが長続きするわけがない。
21世紀になって20世紀の消費文明の考え方のままの「どこまでも右肩上がりの売上成長」なんて本気で考えている経営者やコンサルティングファームは過去の賢者や歴史になにも学んでいないのだと思う。
「モノづくり日本」でいいわけがないのだ。
三番目が資本の余剰。誰も言わないので不思議だが、資本は今、とても余っている。
誰も借り手がいないから、金利はべらぼーに低い。日銀がいくら市中にカネをばらまこうと、株買ったり、逆金利つけてみたりしても需要がないからお金は余る。
この現象は日本だけじゃない、世界中同様だ。金利を見ればわかる。
誰も借りないカネに金利をつけたところで無意味だ。
過去の金利の常識はまるで通用しない時代だ。
逆に言えば、物が余りまくっている。
忘れもしないが、関西の大地震、東日本の大地震、あれで物が日本から消えたことはなかった。
もちろん一時的には不足しただろうが、すぐ元に戻った。
カネも物も余っているということだ。
四番目が医療崩壊
2025年に日本の医療保険制度は崩壊するだろうと言われていたが、この騒ぎで加速するだろう。
医療保険の値上げで保険からあぶれる者が出てくると思われる。
かねてから指摘しているとおり、代替医療が繁盛するだろう。
五番目がエンタメの形態の変化。
コロナ騒ぎでコンサートはなくなった。しかし、集まって騒ぐって人間の本能だ。
今後、コンサートやライブがなくなることはないが形を変えるのではなかろうか。
私はエンタメというものはみんなが考えているよりも範囲が広いと思っっている。
Youtuberもエンタメだし、鬼滅の刃の絵がついた商品を選ぶのもエンタメ。
SNSなどで裏アカウントを作ったり、架空のアカウントを作ることも自分をどのように見せるかのエンタメ。
テレビはほとんどが視聴者に新たな人や商品を刷り込むが、視聴者はエンタメだと思っている。
(ニュースキャスターだってその人を売っているようなものでしょう。)
フジテレビ系が必死になって恋愛ドラマ、ラブソングの女王のユーミン、竹内まりああたりを担ぎ出してキャンペーンをやっても、さっぱり若者は動かない。
暇さえあればスマホをつつきまわし、ついには恋愛や結婚よりも楽しいことにまでなってきた。
これらを考えると、小さな社会で負荷がかからない気に入ったことをだけをやる時間と、ツライ経済労働をする時間、ということにシフトしていくのではなかろうか。
実際、今、おカネを持っている人は、金融関係、ビジネスのオーナー(少しの経営者)、Youtuber、一部の芸能人じゃないだろうか。
エンターテイメントのインフラを作ったものがもっとも儲けるんだけれども、みんなそういう存在がいくら儲けるかは興味がなく、なんとかカツカツ食べることができれば空いた時間はスマホ、タブレット、ゴーグルを相手に麻薬を吸うような時間を過ごすことになるのではなかろうか。
なぜこんな予想をしているかというと、マーケティングというジャンルが終わりに近づいているとしか思えないから。
ビッグデータって過去のデータをいくらほじくったって未来はわからない。
それって株価を過去のデータから予想するというくらいバカげたことだ。
じっさいになにをやっても今の若者は反応しないじゃないか。◯◯離ればかり。
そうすると売れるモノとは、ごくごくニッチでエンタメにからんだものだけじゃなかろうか。
生活必需品はコンビニ、ドラッグストアで調達する食料とAmazonで調達する服で事足りていくような気がする。
そして病気になるとお手上げ。
日本は新しい産業が見つからないまま、30年が過ぎた。
その間にルーチンワークに慣れきった日本企業が新たなジャンルで成長するとは思えない。
そのひとつの証拠が日本中に蔓延している批判主義。なんでもかんでも批判する。
「レールから落ちたら終わり」とかいう妄想に取り憑かれている。
そんなことはないのに。
なにもしないことがイチバンいいような感じではないですか?
新しいモノを作ったりチャレンジすることは中国、東南アジア、インドからアフリカと流れていくだろう。
エンタメ業界だけはいろんなものが試みられるだろうから、そのジャンルだけがお金の支出先になるのではないだろうか。
今、この瞬間もTicTokやclubhouseで騒いでいるが、次々にああいうものができるのではないだろうか。
老人が増えていく。そうすると、集中力も想像力もないから受け身の娯楽に身を任せる人間がたくさん出てくるだろう。
しかもお金を持っている。彼らにわかりやすいエンタメが伸びる気がする。
そうそう、葬儀、終活関連も盛んになるだろうなぁ。
デストピアかもしれないが、自分がどこにいたいのかをちょっと考えてみた。
追記:「日本人は貧乏になった」という記事があるんだけど、コメントを読むと勘違いしている人が多く、貧富の差が広がっていて日本のマーケットは貧民側に向いているというのが本当じゃないだろうか。
貧富の差が激しい時、富んでいる人のことは語られない。
じゃぁ、どうやって富むかというと、「金融関係、ビジネスのオーナー(少しの経営者)、Youtuber、一部の芸能人」のどれかをやるべきじゃないんだろうか?