※ここで書くことは、足掛け20-30年くらい考えてきたことです。悩む人の助けになれば幸いです。なにを当たり前なという方もきっとおられます。
日本国憲法にすごく不思議な条文があります。
第13条
すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする。
大人になって改めて、国民には幸福追求の権利がある、って考えるとすごく変に感じませんか、
幸福って人によって違いますよね。
おカネをもっていることが幸福だと感じる人もいるだろうし、ヒモの旦那を養っていて幸福だと感じる人もいるでしょう。
そういう人によって感じ方が違うものを追いかけることを国民の権利として認めるって、よくないですか?
それぞれの人の生き方の自由を認めるっていうことですよね。
幸福とはなにか?
ところが現実はそうではないことが多いですよね。
お互いにおせっかいをし「おまえにとっての幸福はこれだ!」とマウントを取り合うというか。。。
変わり者の私は一時期、「自分は幸福なんだろうか。幸福になるにはどうすればいいんだろうか」と考えていたことがありました。
だって人生は幸福であるべきではないですか。
そこで私は、自分が幸福かどうかは自分が判断するしかない、という結論に達しました。
なぜならば他人にうらやまれれば幸せだとすると、うらやましがらせている他人が自分の尺度だということになります。
決して、自分が幸せかどうかの尺度を他人に置いてはならないじゃないですか。
他人が幸福のゴールポストを移動したら、それを追いかけるのですか?
それでは他人に自分の価値観を渡してしまっていることになります。
これは簡単なことではありません。
他人の目を気にするだけならば、ブランド物を買うというのはよい選択です。
しかし、自分が気に入ったモノを買う、身につけるとなると、そのモノについてよく知らなくてはならなくなります。
かくして莫大な勉強が始まるわけです。。。
日本国憲法の創案者達がどのように考えたのかわかりませんが、国民それぞれが幸福を追求してよい、ということは理屈を超えたとても深い思想が含まれているように感じます。
これが憲法、国の方針になっていることに感謝しましょう。
同じ結論をおっしゃっている方をずいぶん前に発見しております。
アメリカでとても有名な心理学者、故ウェイン・ダイアー博士です。
博士は心理学の世界で業績をあげ、後に自己啓発、スピリチュアルな分野にも挑戦した方でした。
一言で言えば「象牙の塔のてっぺんから愛を叫んだ男」というべきでしょうか。
素晴らしい方でした。
その博士が作った映画があり「ザ・シフト」と言います。
このシフトはユングがいう「人生の午後」に人の価値観が変わる瞬間を描写しています。
私はこの映画はDVDで何度も見ましたが、今はYoutube(日本語字幕付き)でも見ることができます。
もし、自分の価値観で生きるということに興味があるならばとてもお勧めの映画です。
この禿げたおじさんがウェイン・ダイアーでこの映画では自分で主人公を演じています。
彼は多くの有用な著作を残していて、日本語訳も多数あります。
彼の著作の多くはあの碩学で知られる渡部昇一先生の翻訳です。
これだけでもウェイン・ダイアーの著作の重みがわかろうというものです。
幸福をいつ感じるのか?
次に「幸福になるにはどうすればいいか?」を考えた時に、私は周囲で幸福を感じていない人をいろいろ思い浮かべました。例えば私にとっては、母がそうでした。
これを読まれている方も思い浮かべてみてください。
その人がある日、突然、幸せになる条件を手に入れたとします。
本当にその人は幸せな日々をおくりはじめるでしょうか?
いいえ、一時的にちょっと喜んだ後、それを当たり前のものとして、次の不満を見つけて幸福でない状態に戻るはずです。
私の母の口癖はこうでした「もっと、○○だったらよかったのに」
あるものに感謝と幸せを一切感じられないようでは、未来永劫幸福にはなれません。
今、なにか幸せであると感じることができる感性がなければ、その人が幸せを感じる日は絶対に来ないということです。
あなたは幸せになりたがっていて、なにが達成されれば幸せだと思いますか?
そうじゃなきゃ、幸せではないですか?
最近、幸せを感じた時はいつですか?
幸せを感じることが感情であるとするならば、笑うことや泣くことのように普段からやっていなければ、その感情が発露するわけがありません。
幸福を感じる感性をあげることができると、不思議なことに幸福を感じる時が増えていき、幸福になれるのです。
幸福になるトレーニング
よいトレーニング方法がないかなぁ、と長年考えていたのですが、「プレジデントオンライン 脳科学者が直伝、1週間で「ご機嫌な人」になれる日記の書き方」という記事を見つけました。
(それゆえ、この記事を書きました)
プレジデントオンラインにいつまで掲載されているかわかりませんが、日記に毎日、感謝したことを5つ書くことが提案されています。
一週間続ければ効果がみられ、週末に一度書くことを10週間続けても効果があがるといいます。
理由ですが、感謝の感受性が高い人は、他の人からなにかをしてもらうと「自分のためにこんなことをしてくれた」と高く評価し、思い込みやすいことが挙げられています。(スキーマバイアスというそうです)感謝の感受性が高い人は、物事を楽観的に考え、ストレスについてもなんとかなると考えやすいとのことです。
注意点は日本人にありがちな「申し訳ない」という罪悪感をもたないこと。
私は3つでいいと思いますよ。ゆるーく。
もっと驚くべき話があります。
ほとんど話題になっていないと思いますが、「パワー・オブ・エイト」という本があります。
この本の中で、他人のために祈るとなにが起きるか、という実験が大規模に行われています。
著者のリン・マクダカートも最初は祈ることで病気が治ったりする効果が本当にあるのか?ということを調べたかったのです。
しかし驚いたことに、祈っている人自身がポジティブな効果を手にしてしまう(リンは「リバウンド効果」と呼んでいます)ことが多いのです。
他人に感謝という祈りをすることは結果的に自分にポジティブな効果を手にしやすいということになります。
驚くべき結論
現実の世界にどっぷりと浸かっていると「なにかを得ると自動的に幸福になれる」と考えがちです。
だから人を貶めたりして、不足しているなにかを得よう、とします。
ここまで読んでいただいた方は、世間でよくある話がさっぱり自分を幸せにしないということに気づいていただけたのではないかと期待します。
最たるものが「カネを稼ぐ」です。
お金は売り手が存在しているものだったら、なんでも買うことができます。
言い換えるとかなり応用が効く道具です。それが欲しいというのは目的がなく道具が欲しいと言っていることになります。
本当はおカネの向こうにあるなにを得たら幸せなのでしょうか?
家族との時間だったりしませんか?
ひとつの幸福の例として、人生でなにが幸福なのか?答えはローストビーフという記事を書いたことがあります。
ご参考まで。
人生の午前に野心満々で競争の時期を過ごすことは、いろいろなことを知る、経験するためによいことだと思います。
しかし、年を取って人生の午後にさしかかった時、自分の価値観が本当に自分のものであるのか見直し、幸福の感度をあげていくことを私はお勧めします。
邪魔するもの
私やあなたが幸福への道をすすむときに邪魔する存在があります。
マスコミと広告です。
マスコミは世界中の不幸な話、怒りや悲しみをもたらす話を集めては朝からばらまきます。
朝、テレビをつけて楽しい気分になることがあるでしょうか?NHKの「あさイチ」を見る人が(特に女性)多いのは、朝からうんざりするような話を聞きたくないからではないでしょうか。
何百キロ、何万キロも離れた地の事件をあたかもあなたに関係あるように報道して、あなたの感情を揺さぶろうとしていることに気づいてください。
そしてコマーシャルは「これを買うのがあたりまえ、買わないことは愚かな行動だ」という趣旨のことを手を変え品を変え流します。
エンターテイメントを提供する人々をあたかもあなたの知り合いのように紹介し、映画や公演を見ろ、CD, DVDを買えと勧めます。子供がひっかかるのはわかりますが、大人ならばいい加減に繰り返される茶番に気づきましょう。
2020年は漫画「鬼滅の刃」が大流行ですが、大正時代も鬼も今の自分に必要なものかどうか考えるのが大人でしょう。
実際の生活では、そんなもの見ないでスーパーやショッピングモールで「これは自分に必要なものか?」と問えばわかる話です。
テレビ、雑誌といったマスメディアからは距離を置くことをお勧めします。
それは私達それぞれが考える幸福についての価値観の自由を奪うものです。
これを手に入れれば幸せになれるという幻想から離れましょう。
中年以降で、自分は不幸だ、恵まれていない、人生を失敗した、と思っている人はぜひ、この記事を読み直し、やってみてください。
私と同じく人生が変わりますように。
私はすでにこの世にとどまる時間が少ないことを知っています。