最初にお断りしておく。
金融機関に勤めている人には失礼なことを書きます。
金融事業をITの面から見て、そして知り合いの銀行員を見ただけでこの記事を書いています。
つまり私の主観です。
私が大学を卒業するころ、文化系と言われる学生はみーんな金融機関か商社を目指していました。
私は勉強していなかったので(統計とプログラミングだけは好きで一生懸命やったけど)、成績もよろしくなかった。
なによりも授業で「付加価値論」というものを知り、個人にも当てはまると信じており手に職がつく仕事を選びたかったのです。
どこかに属したらもう安心なんて、子供のころからアウトローだったので考えたこともなかった。
当時はITなんてジャンルはなく、コンピューターで飯を食うためには、メーカーと呼ばれるジャンルに就職することを意味しました。
文化系の学生はいろんなところを落ちてからメーカーを回るわけで、私のように就活解禁になって真っ先にメーカーに行く(同級生には「ランク落ち」とか言われてたな)人間なんかいませんでした。
それから数十年、ITで食べています。何十年もやっていれば、知識、経験、見識も若者以上のものを持ち続けられます。
転職もたくさんしました。つまり、できました。
一方、ゼミであらゆる不義理をし、農林中金に将来が「絶対に」安泰だと就職したヤツもいます。ご存知のように空中分解です。
だから思うことがあります。
転職に通用するメタ知識を持っていて本当によかった、と。
世の中に「絶対」なルールがあるとすれば、「すべては変化しつづける」ということだけです。
ひとつの会社に長年勤めていると、その会社のエキスパートにはなりますがメタ知識は偏ります。
その偏りを修正することはなかなかチャンスがありません。
例えば、金融機関がひところ合併を繰り返しましたが、システムの内情はどこもほとんど旧システムを残し、変換プログラムを介してやりとりするようなだましだましの方法です。
なぜそんなことになっているかというと、銀行によりやり方が違うのです。
だから、銀行員は他行に転職することが至難の技なのです。
合併した銀行内で内部抗争を繰り広げるのは、どのやり方を正とするかという観点からは正解かもしれません。
もうひとつ、金融機関の業務には大きな特徴があります。
お金を扱っているだけに、安定性とセキュリティはガチガチです。
これが「仕事は透明性があり、誰もができるようにしておくべきだ」という考え方につながります。
◯◯さんじゃなきゃダメ、というのはメーカーでは認められますが、金融機関ではあってならないのです。
(そうじゃなくても、行内犯罪は世間の人の予想以上に多いのです。怪しい通帳を触るトランザクションがあったら、警告をならすトラップを毎週のように土曜日にかけていたことを思い出します。)
だから、評価は減点主義、出る杭はいらない、と仕事の付加価値で自分を差別化することは不可能なのです。
稟議書はハンコが10個以上並び、責任をあいまいにします。
(銀行出身の自称営業がNTT時代にいました。銀行と同じノリで社内部署へのクレームに大量にCCをつけていました。それは普通の企業ではものすごく嫌われるのですが、本人自覚ありません。居づらくなり消えました)
それゆえ、周囲への気配り、上司へのゴマすりは半端じゃありません。
今はさすがにないでしょうが、私が若いころは銀行の「役席」というおっさんが女子寮に電話して若い女子行員を宴席に呼んでいたことは2度や3度ではありませんでした。
私には到底ムリなストレスフルな生活を送ります。
職場とプライベートで完全な二重人格者は金融機関に務めるサラリーマンには極めて多いと感じます。
しばしば金融機関は給料が高いといいます。
日本企業間で比較すれば高いほうでしょう。
それでも、銀行は潰れかけて政府に救われた時に社員(行員)に給料を払わなくてもやっていけることを学習しましたから、今の銀行員の給料はそんなに高くないです。
外資系企業には金融機関の支店長クラスの給料もらっている営業なんぞゴロゴロいます。しかも若い。
「俺は支店長で高給取り」なんてうそぶいていても、井の中の蛙であるだけです。
高くない給料をどれくらいの期間、稼げるかというたいした期間じゃありません。
収入を年俸x継続年数の面積で考えない愚か者が多すぎます。外資系の営業の年俸が高めなのは継続しないとわかっているからです。(できれば会社は評価します)
メガバンクは大量に採用しますが、10年経てば30%くらいしか残っていません。
そして、この記事にもあるように45歳で次の人生を考えろと言われるくらい働ける期間は短いのです。
記事にある「たそがれ研修」では
行員自身が『銀行を出た後のこと』を考えるものらしいよ。家族への手紙を書き、特技や趣味、資格など、自分をもう一度見つめ直すように指導されるのです。
大の大人がこんなくだらんことを言い聞かせられる程度に劣化しているということです。
資格とは、士業以外は若い人が経験の代わりに示すものであり、年を取った人は実務経験が資格より評価されるという労働市場の基本も知らないのです。
能力は劣化していてもプライドだけは肥大した人は、銀行が紹介してくれるどうでもいい仕事を続けるしかありません。
銀行を出て行けば、個人としては誰も自分を相手にしてくれない事実にぶちあたります。
異業種交流会でも飲み会でも自分が銀行員であることを誇っていたのであれば、仲の良かったはずの友人がみんな離れていきます。
完全に社畜です。
まとめます。
- 普通の人には耐えられないストレスを与えられる
- お客はいるが、ビジネスモデルはない。役所より役所らしい。
- 誰もがやれる仕事に達成感はない
- 手に職はつかない。ひとりでは生きていけない
- 他行への転職はムリ。転職すればただの人
- 収入はそれほど高くはない
- 在籍できる期間が短い
- 人としての成長は結果的に期待できない
私は金融機関をお客様として長い間おつきあいしてきましたが、金融機関の人間になりたいと思ったことは一度もないし、この人は尊敬できると思った人に会ったことはないです。たとえ頭取でも。
むしろ「せこい」としか言いようのない人ばかりみてきました。
銀行に半沢直樹はいません。いないからこそ、小説になるのです。
そして、、、
日本は異様に外資系の金融機関の活躍が目立たないと思いませんか?
たまに聞くのはゴールドマン・サックスの連中が高給取りだとかいう噂。
日本の浮動株式の6割は外国人が売買しているという話し。
これらは事実です。
ただ、ゴールドマン・サックス内ではそれでもゴミなところが恐ろしいところです。
金融工学などの発達により、アメリカやイギリスの金融機関は高等数学を駆使し、IT機器をぶんまわす企業にとうの昔に変わりました。
彼らが本気で日本市場をTPPなどを発端として攻め込んできたら、日本の金融機関などひとたまりもありません。
TPPの特徴は、企業が政府をアンフェアだと裁判所に訴えることができるところが特徴です。
財務省の護送船団方式では防ぎきれないだろうと予想します。
すでにさびれきった地銀は君臨する相手がいなくなったので合併を繰り返し、椅子取りゲームをやっています。
一方で日本の金融機関はお金を儲けるすべをもたず、どこのメガバンクも買収したサラ金企業にすがって生きているのが実情です。
預金者からできるだけ手数料やリスクの高いお客のためにならない投資信託だけを勧め、身ぐるみはいでサラ金に落としたいんじゃないか、と邪推したくなるほど預金者をカモだとは思えど、保護しようなんて思っていません。
日本の銀行員はすでに「バンカー:お客さんの金融資産を保護する人」とは到底呼べません。
日本生命の保険金積立の利率は2016年現在、年0.05%です。プルデンシャル生命の利率は年1%です。実に20倍違うのです。
この20倍の違いをテレビCMや保険外交員の人間関係でごまかすわけです。
どれだけ日本の金融機関が無能であるかの証明のひとつです。
とがった人を一切認めない経営の結果がこれなのです。
銀行員になると転職はできず、買収されたら奴隷以下です。
嘘か本当かわかりませんが、緑色の銀行で元S銀行の人が元U銀行の人を書類棚の上に5時間正座させていたとかいうエグい弱い者いじめの話しが銀行ではよくあります。
人としてそれだけ劣化していくのです。
目先の「給料が高いらしい」とか「勝ち組になれる」とかいうことは会社の話しであり、すべて自分個人のことではありません。
ミクロレベルとマクロレベルの混同は人生で間違いを引き起こします。
こんな組織で自分がやっていけるのか、一瞬の見栄だけで”新卒”という日本企業に通用する切り札を捨てていいのか、はなはだ疑問です。
世の中の学生はなぜ「会社」という単位でしか勤め先を選ばないのでしょうか?
選ぶべきものは「職業」であるはずです。
私は職業選択をし、自分の職業人生は実り豊かであったと思っています。