日本中で盛り上がっていた半沢直樹が終わり、余韻が冷めない今日このごろであるけれども、私は見ていてどうもしっくりこなかったのです。
半沢直樹に100%入れ込めないのです。
よくよく考えてみて、こういうことかな、と思いました。
半沢直樹を頭取の目から見たらどうでしょうか?
営業二部にできる次長がやってきた。金融検査前に伊勢島ホテルの問題を片付けないと、多額の引当金を用意せねばならない。銀行としては危機であるから、なんとかせねばならない。ならば、この男にやらせてみよう。
ということだったのでしょう。
しかし頭取たるもの、アホじゃないので、もし彼がコケた時の次善策にも手を打っていたと思われます。金融庁のエライさんにもネゴはするでしょう。ボーっと半沢直樹に全部を託すようじゃ、頭取失格です。
つまり、半沢の目から見れば銀行を救ったつもりかも知れませんが、頭取の目から見たらいくつかある策のひとつがとてもうまく機能したに過ぎないということではないでしょうか。
にもかかわらず、その過程で見つけたことを利用し、銀行常務取締役に取締役会で土下座させる。思い上がるのもいい加減にしろ、と思ったのではないでしょうか。
さて、大和田常務から見たらどうでしょうか?
最初、関西で半沢直樹が五億円の焦げ付きを回収していたころの、大和田常務の期待度は半端じゃありませんでした。「これを乗り切れば、ヤツは本物だ」と何度も言っています。
その彼が東京に転勤してきた時、浅野支店長が白旗代わりに推薦してきた人事をサポートしたのは間違いなく大和田常務でしょう。若いころの自分同様、手段を選ばず目的を達成してくる男。とても頼もしく自分の傘下に欲しいとすら思っていたことでしょう。
ところが半沢直樹は大和田常務を最初から敵視しています。大和田常務はとまどったことと思います。嫌う理由が極めてプライベートな理由です。そもそも復讐ありきで入行してくる銀行員なんて普通じゃありません。
銀行が貸し剥がしや突然の担保積み増しで、日本の中小企業を大量に殺したことは周知の事実です。そんな話はメガバンクの前にはゴロゴロ転がっている話です。零細企業の経営者が首をくくったなんて話は新聞にも載らないくらいありふれた話です。
つまり大和田常務は半沢直樹の両親の件に関しては、普通の銀行員として仕事をしたにすぎないと思われます。
確かに半沢直樹自身は中小企業のビジネスをしっかり見てお金を貸していたかも知れません。しかし、そんな銀行員はまずいません。ほとんどの銀行員は銀行のいうがままの方法で貸した相手を査定し、お金を貸し、銀行のいうがままの方法で貸し剥がし、担保の剥ぎ取りをするだけです。相手企業が潰れようが、自分の保身のほうが重要なのは普通の人ならだれでもそうです。
その他、行内の課長や次長がやっていた虐めや上司のいうなりにやったことを半沢直樹は手当たり次第に暴いていきました。
そのやり方も、マスコミを使ったり、便所で締めあげたり、手段は問いません。
そして、大声でいいます。
「やられたらやり返す。倍返しだ。」
こういう人間は、行内ではどう見えるでしょうか?
敵味方をはっきりつけ、自分は正義。敵は悪なのです。
清い水に魚は住まないといいます。
最終回の取締役会には多くの役員が並んでいます。その役員の大半は社内抗争を勝ち上がり、多少の悪事は働いてきたはずです。銀行全体がそういうものである時に、ひとりホワイトナイト気取りでやってきて正義をふりかざす。しかもその正義は歪んでおり取締役会で私憤を晴らすために常務に土下座まで強要する。
頭取ならずとも、こんな男は「もっと世間の風に当って、人間が丸くならなければ銀行をやっていけない。」と考えるでしょう。
私は半沢直樹という男は有能さという凶器をかかえた幼稚な人間に見えました。
だから、入れ込めないのでしょうね。