雑感(日記)

努力への誤解

リアルライフに「中高生の約7割が「努力は報われる」と考えている」とある。
教育関係者は、面目躍如といったところだろうか。

俺はこういうことを安易に信じさせるから、日本中の若者が混乱していると思っている。
最初に断っておくが、俺のいう「努力」とは、自分が楽しいと感じないことを延々と真剣に続けることをいう。

俺の家の目の前に公立の中学がある。体育系のクラブ活動に熱心だ。定期考査の前日まで、クラブをやらせている。そのため、有名な高校、大学に進学するものはほとんどいない。
おそらく学校の先生は、「クラブも勉強も、がんばれば進学できる」という、およそ現実性のない夢を生徒に押し付け、誰もその夢を達成できないでいる。

本気で信じた子供はここで現実に行き当たる。

そう、めちゃくちゃ努力できるのは才能です

ちょっとの努力で「努力は報われる」なんて勘違いしていたら、大変なことになる。
もともと教師自身がろくに真剣な努力なんか経験しているとは、到底、俺は思えない。社会に出るのが怖くて教師になった人間が大半なのは、よく知っている。

そして、東大に入学した人、出身の人間が、さして興味のないことでも延々とやり続けられる「才能」を持っていることを知っている。

普通の人は、なんとか、努力と自分のモチベーションを上げるというバランスを苦労して取りながら生きていく。

そう、努力が誰でもできる、というのは大嘘である。それはかつて努力をして見て、自分の限界と他者の限界を知らない甘ちゃんのせりふである。

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