心と体

量子力学とオカルト(3)

以前書いた量子力学の実験結果とオカルトの世界を繋いでみる

エヴァレット解釈 意志が多重な宇宙を創り上げていく

ベンジャミン・リベット実験 顕在意識は潜在意識に操られている

白いシャツとゴリラの実験 人はみようというものしか見ていない

前回の実験の話しは、「人は人と「こうだと思った事実を共有している」」ことだった。

さらに上の3つから言えることは、恐ろしい認識である。人は意識で把握して行動していることは、ほんのわずかで潜在意識こそが多くを認識し、個々人の宇宙を創り上げているのではないか、ということである。

小説でリプレイという作品があり、同じ人が似たような人生を何度も繰り返す話しがある。この何度もの人生ごとに宇宙がすでに同時に存在しているとする。これが私の考える多次元宇宙。そのどれに属するかが自分の選択で決められるという。

ただし、その選択は自分の顕在意識だけでは決まらない。顕在意識は感心のあることを取捨選択し、それに関係するものしか見ようとしない、できない。なぜならば因果関係を確認しながら認識していくために、単なる事実の羅列を同時に受け入れることができないのである。
例えば、道を歩いていて車がとおり個々の車の車種、中に乗っている人、通りを歩く人、上空を飛ぶ鳥、ビルとその窓辺に立っている人、空気の汚れ、などを同時に認識し続けている人はいない。自分の感心にそったものだけを拾い出し、辻褄をあわせているのが顕在意識。
しかし、自分全体はそのかなりものを認識はしている。だから突然、向かってくるものには警戒したり避けたりできるのだ。

おそらく人生全体がそうで、感心をもったもののみを見て選んでいくから人生は一定の傾向と方向をもつのだと思う。上のように莫大な量の情報が世界には溢れていて、その中から気に入った情報を拾い出して辻褄をあわせているのが我々である。

この観点からすると、多くの人の考え方が奇妙であることがわかる。
たとえば、お金があったら幸せになれるというが、それは違う。それは「現状が不満で、未来に可能性を見出したい」といっているに過ぎない。お金というもので、未来の期待を代弁しているだけではないか。

なぜならば、ここでいっているお金と、それが創りだす体験は違うものだし、その体験と自分の満足はまた違うものだから。

式で書くと

お金=幸せ

じゃなく、

お金=なにか体験できる可能性=楽しそう=幸せ

ということだろう。
が、今まで見てきたように溢れかえる情報の海で自分が楽しくならないものばかり選んでいる人は上の式をぶち壊している。いつまでたっても楽しくなるわけがない。

多くの人が期待することをやるのであれば、最初から楽しそうじゃないと幸せにはならないと思われる。

長くなったので、ここいらで止めるか。

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