Jobsの訃報からしばらくBlogやTwitterを見ていたら、死を悼む声だけでなく、彼の業績、性格を批判し、ドヤ顔している人が多いことに驚いた。
私ごときにとうていできることがないことをやられていて、片方では日本のAppleの社長の名前を知られてないくらい、独裁者であったことは間違いない。
が、それをふくめて全体がJobsという人であり、パーツを切り離して批判する、という考え方が私には難しい。
ましてや、そういう大きな業績を上げた人の欠点と思える点を指摘して、自分の優越感が満たされるとはとうてい思えないのだが。
「そうか」と思ったことがある。
小沢一郎氏の騒ぎ以前から、日本の首相の在職期間は短命である。首相以外に大臣でクビになった人は数知れない。そのクビになった理由が業績だったことはただの一度もない。なぜならば業績が出る前にクビになっているからだ。
じゃ、どうしてクビになったか?例えば、在日韓国人の焼肉屋のおばちゃんからちょっと応援金もらっていました。福島で放射能の恐怖を誤魔化すためにジョークをいってしまいました。などなどである。
全部、仕事と関係ない。
今の我々日本人は、
すべてにおいて完璧な人じゃないとリーダーであってはいけない、
という誰が仕向けているのかわからない思い込みに支配されている。
そして、今や日本の舵取りできるまともな政治家は一掃された。
誰がこういうテーゼで国民を洗脳しているかわからない。
が、俺が恐れているのは、次に
完璧な神の代理人なのだから、絶対だ。いうことを聞け。
である。
今の日本の若者、中年は頼るものがなにもない。もし、こんなことを言い出す宗教が現れたら恐ろしいことになると思う。
かつて一度は捨てた全体主義の名の元、個人は犠牲となっていく。
杞憂に終わって欲しい。