と、昨日、電話で言ってしまった。
最初にいっておく。俺は決して、Appleが好きじゃない。OSのマイナーリリースあげるのにカネとるのも嫌いだし、そう書いたら「勘違いを直しに」沸いてくるマックフリークも嫌いだし、自社で密かに作りまくって箱の山を築いてから発表する秘密主義も嫌いだし、スティーブ・ジョブズの強引かつ繊細なプレゼンもムカつくし、ジョブズ以外はデザイナーしか目立たないアップルの社員は気の毒だと思っている。Apple Storeの店員の新興宗教じみた目付きと動作もイヤだ。店員が自社の製品の悪口を言ったっていいじゃないか。
なによりもiPhoneとかマックとかAPPLEの製品が家の中で増えていることに不安はある。
にもかかわらず、製品が増えているのはなぜか?
中身がブラックボックスだからである。
この言葉がホメ言葉になることは少ない。少し冗長だが思うことを書いとく。
ジョブズは以前、プレゼンでいった。
だから、アップルは製品に自分たちの考える完璧さを求め、他のベンダーを支配するのだろうか。
一方の世界はWin-Telが崩れると、こんなに混沌とするのか、という世界である。iPodに対してはMP3プレーヤーなのだ、iPhoneに対してはGoogle Androidなのだ、iPadに対してはWindows PhoneかGoogle AndroidかWindows 7なのだ、MacBook Proに対してはネットPC。Apple TVに対しては永遠の未来の情報家電?。
すべてがバラバラの議論で、個別にAppleは評価されて「いい」「悪い」と判断される。この議論の軸はどこかおかしい。
なぜならば、各々の製品メーカーは、
それぞれの製品を売ったらおしまい。お客との関係はそれで終わり。
という軸に沿っており、Appleが考える軸には沿わないと決めているからだ。
3、4年前、日本でペルソナマーケティングという言葉が流行った。ひらたくいうと、仮想の顧客はどう振る舞い、企業はどう応えられるか?というユーザーエクスペリエンスを重視したマーケティング方法だ。Appleの製品群は見事にそれを実現している。今まで行き当たりばったりな思いつき製品はないのだが、マスコミにはわからないようだ。逆にいえば、ジョブズのような経営者がいないとペルソナマーケティングはできない、ということが図らずもわかってしまった。
身銭を切るユーザーは、先にあげたAppleの製品を利用することで、自分の生活空間がリッチになっている、と感じる。
一方の競合会社はユーザー体験はおざなりで製品のスペックにばかり神経を尖らせる。仮にどこかのパソコンメーカーがMacBook Airを上回る軽さと性能のPCを売り出したとしても、それをホメるのは無責任なマスコミと、ごく一部だが声のデカいハードウェアマニアだけだと思う。
そして、このような議論をしている時にはApple Storeで一曲200円で音楽を買い、iTunesに置き、iPodやiPhoneで楽しめることについては忘れたフリをする。
要するに「なんのためにその機器を利用するのですか?」という問いにApple以外はメッセージが聞こえてこない、内蔵をむき出しの、売りっぱなし商品のように感じる。
通常のパソコンはリカバリーエリアがどうの、デバイスドライバーがどうたら、というものの理解をユーザーに要求する。要するに中身の理解を求める。
しかし、マックは極めて単純なリカバリー方法である。今回のMacBook AirならUSBメモリーを挿し込めばいいのだ。たとえ、OSXがUnixベースであっても、ユーザーはTelnetすら知らなくていい。
整理すると、Apple製品が増えてしまうのは、ユーザーエクスペリエンスを考えてくれていて、各々の機器とサービスが補完関係にある。その上でパソコンと同じことができるのに、ユーザーが必要とする技術は圧倒的に少ない。ブラックボックスである。(文字通り中身は真っ黒)
そして、とても美しい。
本来、一般的に使うデジタル機器はこうあるべきではないのだろうか?