心と体

科学的態度か?

世の中ではしばしば「データに基でいて」とか「客観的に」とかいう。理性的に動いているつもりでいることも多い。でも、しばしばそれはウソ、錯覚であることが多い。
例えばここの例は「報酬とやる気はリンクしない」という事実を提示している。この例を説明された人事担当者はおそらく「特別な例だ」とか「当社にそぐわない」という理由にならない理由を並べるだろう。

同様のものは多い。

ネットのQAサービス「はてな」とか「OK WEB」とかでもクビをひねるような回答が多い。とくに人間関係。「○○と考えて、△△しましょう」という意見が圧倒的だ。書いている人自身、そんなに自分を理性でコントロールできているのか?人間は普段の行動の90%は無意識にやっている。意識したところで「わかっちゃいるけど、やめられない」のだ。フロイドが無意識を発見したのは19世紀だが、21世紀になっても理性万能主義である。

「いい大学にいけば、いい会社に就職できて勝ち組になる可能性(確率)が高い」などで使う「確率」も同様ではないだろうか。確率は一定の条件で無限回の試行を前提とした理論値である。人生という一回こっきり、かつ、条件がどんどん変わる中で変わらない行動をする愚かしさは科学的、理性的とはいえない。

もともと人間は理性的ではない。金融崩壊の基はすべてのリスクを証券にし、まぜこぜにして売ってしまう、ということを認めた人、売買に参加した人、みんな理性的とはいえないだろう。DCF(Discount Cash Flow)などに代表される、「今もっているお金が一番。ここがジンバブエであってもね」というのも科学的な皮をかぶったマヌケな議論だと思う。

行動経済学という分野では、こういった人間の理性的でない活動を踏まえて経済活動を見直そうというものようだ。
いろいろ見て思うことは、あんまり自分の見ている「客観性」を他人に押し付けないことだろうか。科学的に見える主観であることが多々あるのだから。

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