毎年、8月15日は悲しくなる。とくに今日みたいに空が青く、少し雲があると。
父が今年亡くなったが、ごくたまに父から戦争の話を聞いた。終戦の日は、今日のような暑く、のほほんとした空だったそうだ。
父は広島に原爆が落ちた翌日に広島市街を歩いた。実家が農家だったので食料をもって戻ってきたのだ。なにも知らず。それから数日のことは、生前、父の口から聞いたことはなかった。「原爆記念館のとおりだから、自分はなにもいいたくない」と記憶を封印したのだった。
それでも、父親の親族、母親の親族、多くの人が戦争で兵隊に連れていかれたり、空襲などで亡くなった。子供のころに欠けた親戚の話はごく当然のように、たくさん聞いた。写真でしか見たことがない叔父や叔母がたくさんいるんだな、と思った。
毎年、思い出す。まちがいなく、家族や自分のために生きたくても生きていくことができなかった人がたくさんいた。その人たちのことを思うと、「愛国(右翼の嘘)」は嫌いだが、国民としての誇りは必要だと思う。
そして、安直に他の国と戦うなんていっちゃいかんと思う。ろくでもない行為の犠牲になるのは、いつも必ず絶対にお互いの国の我々庶民なのだから。
朝日新聞にも連載されていたが、アメリカでも軍隊に入るのは国籍が欲しい移民や、仕事を覚えたいマイノリティ。そして自衛隊(あ、英語の新聞ではすでにJapanese militaryだよ)とは違って、あちこちで本当に戦争をするから、死んだり、大けがしたりしてる。最強の国アメリカといえば聞こえはいいが、庶民のアメリカ国民の犠牲の上に成り立ってる事実を忘れちゃいけない。戦争はやっぱり、しちゃいけない。