雑感(日記)

人類は変わらないから、また日本も戦争をするだろう

明日は終戦記念日です。

この日、日本は無条件降伏をしました。
しかし、それは当時の日本政府の決断ではなく、天皇陛下の決断でした。

天皇陛下のための戦争といいながら、8月14日には陛下の戦争を止める宣言(玉音)を皇居に侵入し、奪い取ろうとした軍人がいました。
動機はどう考えても、自分が居心地のいい戦争を続けたかったのでしょう。

かろうじて無事に玉音放送は流れ、第二次世界大戦が終わり、日本は二度と戦争はしないと誓ったはずでした。

話題になる憲法9条は「戦争放棄」と呼ばれています。

しかし、自民党はこの憲法を変えるようです。具体的な説明はここに譲ります。

なぜ自民党は戦争をしたいのか。

理由は簡単です。「自分が戦死するわけじゃないから

第二次世界大戦のころだってひどいものでした。

東条英機は「軍の統帥権」とかいうものを手中にし、精神論で日本国民を戦争に招き入れ、終戦間際には「国民に根性がない」と罵るしまつ。しかも銃で自殺しそこね、絞首刑。

特攻隊を作った大西瀧治郎は自ら出陣することはなく、戦争に負けてから自殺。
辻政信はクソみたいな作戦で国民を大量に殺しておいて、戦後は参議院議員。だからたぶんラオスで暗殺されたんでしょうね。

政治家の子弟の大半は戦争に行きませんでした。戦争を知っている人たちは知っています。
東京裁判でようやく戦争を指揮した連中は絞首刑。あの裁判が不当だという人がいますが、ならば何百万人も犬死にさせた責任を誰が取ったのでしょうか。日本国民の戦死者の多くが戦闘ではなく、餓死だった事実をどう捉えるのでしょうか。

今のウクライナ侵略戦争を見てもわかります。
プーチンは毎日、のほほんと生きています。
ロシア兵は殺されます。
ましてやなんの罪もないウクライナの庶民は、なぜ殺されなければならないのでしょうか。

自分の子孫が生きていけないという条件で自衛の戦争はわかります。生き伸びるためです。仕方ありません。

そもそも戦争は決めた奴らが自分から率先して行けばいいのに、国民に「おまえら行け!」
命令を出す権力者は後ろでのほほんとしており、命令を出されて戦争に実際に行く人が悲惨なことになると孫氏の時代から決まっています。

戦死ならまだいいんです。腕や足や目をふっとばされたり、PTSDになって(新聞に戦後、生き残った兵士がPTSDになっても誰も理解しておらず助けを得られなかったという記事が出ていました)、残りの人生をどう生きろというのでしょうか。
そして相手国の庶民を「敵」と一律に一括りにして、死傷させるために出かけるわけです。

出かけて命からがら帰ってきたらどうなるか。
これもアメリカでベトナム戦争から帰還した兵士たちがどう扱われたか歴史が証明しています。要するにそういう人たちの居場所が社会にないのです。

自民党の政治家達は自分や家族が戦争に行かなくていいことを知っているから、平気で戦争を辞さないのです。

マスコミに煽られ「国のため」などという抽象概念に踊らされ、のこのこ他国に出かけて戦争をするのは、ものすごく愚かなことです。

戦争で死傷するのは私やあなたや友達の庶民だけだし、日本政府はその後、なにもしてくれないことが歴史上、証明されているからです。

サイパンや硫黄島の遺骨を”民間団体”が拾い集めにいまだに行っています。
アメリカは政府が遺体を国に持ち帰ります。たまには遺体を回収するための戦争も辞さないほどです。
国家が国民をどう考えているかの違いが如実に出ているのです。

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