まじめにやってはいけない

サラリーマンのふり

若い頃からふまじめだとよく言われる私です。

世の中はまじめであることがよいことだとされています。

しかし長い間生きてきて、まじめであることがいいことだと思いません。

持論の理由を説明します。

人はミニマムでは生きていけない

人が生きていく上で必要なものは「衣食住」だといいます。

じゃぁ、着るものは毎日ユニクロのベーシックなもので、食べ物は毎日、牛丼、サラダ、サプリ、住むところは最低限のカプセルホテルで、人は何年暮らせるでしょうか?

清貧で真面目に生きていくのであれば、それだけで十分なはずですよね。

ところが世の中にはモノが溢れています。
たしかに広告で煽り立てて無理に買わせている贅沢品もあります。
しかしスーパーに行けば、普通の人が生活で必要なものとして多彩なものが売られています。

なぜなんでしょうか?

そう、同じものばかり食べていると人間は飽きるからです。
人間はさまざまな体験を楽しみたがる生物なのです。

人は楽をしたいから生産性があがる

効率の悪いやり方を一生懸命やっているからよし、とする風潮は昔から日本に根強く残っています。

私はそういう考え方は新しいことに踏み出そうとしない怠惰な考え方だと思っています。

今、東京から山梨県に荷物と一緒に移動する時に、背中に背負って歩いていく人はいないと思います。
もっとも効率が悪く、もっとも労力のわりに効果があがらないことが明白だからです。

しかし、日本にまだ自動車がないころは馬車が最高でした。
馬車を運用していた人々は「自動車なんて、坂道は登れない、荷物もたいして運べない」と揶揄していたはずです。
しかし、トヨタ自動車を始めとした車のメーカーはそれをはねのけ、今や馬車を駆逐したわけです。

保守って本当は悪なんですよ。

努力を売り物にする時代はすぎた

しばしば聞きませんか?

「なんでも一生懸命にやるので、よろしくお願いします」

清々しいほどに腹が立ちます。

これって、能力を無料で教えてくれ、って言ってるんですよね。

たとえば、プログラミング、経理、総務の仕事をあなたが苦労して学校に行ったり、本を買って読んだりしたことを「一生懸命だから]無料で教えろ、といっていることです。

とんでもない話です。

一生懸命って免罪符なんですか?

こういうことを言う人間に限って、オフの時は仕事の能力を高めようなんて一ミリも考えなかったりします。
学校でも独学でも、もっと苦労します。

 

まじめに婚活

私が若いころは「婚活」という言葉はありませんでした。
恋愛かお見合い。
恋愛はいろんな出会いパターンがありましたが、ご紹介、合コンなんてよくありました。
別に結婚を前提とはしていません。恋愛だけでも簡単なもんじゃありませんでした。
「東京ラブストーリー」じゃないですが、いろいろ大変だったんです。

お見合いは親戚のおばちゃんが見繕ってくれるので、あまりおかしなことにもならなかったと思います。

ところが婚活って「まじめに」という言葉を大義名分にして、普通の人のプライベートである年収、勤務先、肉親関係にまっさきにズカズカ入り込んでいきます。
そこには「一緒に頑張ろう」なんていう考えはどこにもなく、「おまえ、何持ってるの?」から始まります。
言っときますが、恋愛結婚ではほとんど最後に知るくらいの個人データですよ?

今の年収、外観、親戚関係だけで結婚目的につきあう相手かどうか決めるって、まじめというより打算ですよね。
とくに女性は相手が自分にふさわしくないと簡単に切り捨てるけど、男性に切り捨てられたら「相手は不誠実でまじめじゃない」と言いませんか?
「真面目につきあいたい」って言う人は、自分が至らず振られても、不真面目な相手だったって言って歩きますよね。自分のプライドのために。

日本でいう「まじめ」って、自分の能力のなさをごまかせる言葉なんです。気づいてください。

恋愛やお見合いで結婚する時には「これから一緒にがんばろう!」って思うから、その後に人生上に起きる辛いことに立ち向かえるんではないでしょうか?

打算で割り切った異性と婚姻届を出して、法的に夫婦になればイコール幸せなんですか?
それからが大変なんですよ?
その大変な危機(たいていは子供絡み)があった時には「こんなはずじゃなかった。この旦那は使えない」とこれまたまじめに後悔するんじゃないでしょうか?

人生で「自分はこうありたい」っていう楽しさをそっちのけで、「まじめだ」ということで自分が感じる、ドキドキや楽しさを押しつぶすことで生きているといえるのでしょうか?

個人的な恋愛関係に「まじめ」ってずいぶんと都合のいい言葉だと思います。
「私はまじめだから」と自分の判断で傷を負う覚悟がないから、恋愛市場から弾き出されたんではありませんか?

まじめはミスをする

コンピューターと人間の決定的な違いは「意図をもつか」どうかです。
機械は意図がないので、間違いでも延々とやり続けます。
人間は意図があるので、間違いを意図の逸脱として認識します。

間違えてはいけない外科手術の現場では、冗談を言いながら仕事をするらしいです。
少しリラックスしていないと、作業に集中しすぎると意図を見失うということだと思います。

この世で最高に精密なものを作る有能なプログラマーはジョークしか言いません。

まじめな人は機械的に行うので意図に反するミスに気づかないんです。

まじめは傲慢

最近、ネットで誹謗中傷が話題になっていますね。
数え切れないあおり運転をやった人の隣に座っていた女性に似ているからということで、誹謗中傷し、訴えられている人々。
木村花がけしからんと、中傷誹謗し(訴えられるだろうね)た人々。
こういう人々って、たぶんまじめなんだと思います。
不真面目人間の私なんか人様を「けしからん」と言えると思っていません。「おまいう」だもん。
まじめな人は普段から、世間が言う悪いことをしない、言論の自由がある、世の中には正義というものがある、と中途半端にわかっているから誹謗中傷するんだと思います。
批判から誹謗中傷までの線引きは難しいですからね。

まじめとは他人に責任を転嫁する行為

結局、「まじめにやっている」って他人に言われたとおりのことを忠実に守っています、常識といわれることをなぞっています、と言っているだけす。
なんのプロフェッショナリティも自分の主体性もない行動なんです。

私事ですが、先日、経理担当者と会計事務所を変えました。
以前の経理担当者は「まじめにやっている」つもりだったんです。
が、作業そのものはまじめなつもりであっても、税理上は間違ったことを続けてきていました。
私からサイドビジネスとして報酬を取っているにもかかわらず、長年、不誠実な仕事をしていたのです。
しかも機嫌が悪くなり、決算を放棄。
まじめな人こそ、こういう行動に出ます。自分の中では私が悪人である理由があるのでしょうけれども、法人から見たらたまったものじゃありません。

新しい税理士事務所からこのようなことを指摘されました。
– 税理士でもないのに税務についてコンサル、書類作成をしたら無償であっても罰せられます。企業で経理をしているからといって他社でやると、たいていは非税理士行為になります。
– 責任逃れのために、税務調査が入ったら逃げることしか考えていない会計操作
– 間違った源泉徴収、間違った家賃計上、間違った役員報酬形態

プロの税理士は自分が指導した以上、逃げるなんてことしません。自分がおカネもらって締めた以上、責任を取ります。これがまじめな人とプロの違いだと思います。

いかに「まじめ」なはずの人が無責任で、基準がお手盛りであるか、わかると思います。

結論

このように、あなたの周囲のまじめな人間は、いざという時はあなたを助けてくれません。気をつけてください。

一般的にまじめな人間に友達が少ない理由は、本当は自分だけが可愛くて、傷つきたくない人間だからではないでしょうか。

誰も通らない道なき道をすすむってまじめな人は絶対にやらないですよね。
人を信じてまかせるなんて、まじめな人にはできない行為ではないでしょうか。
自分でリスクを取るとかチャレンジ精神ゼロで他人に協力なんかしない人ってことです。

「まじめに生きてきました」

などと平気で言う人は私は心の中で「こいつ、バカで、信用できない」と思います。
リスクは絶対に取りませんから。

「まじめ」を盾にする人を気をつけましょう。

今回のCOVID-19で働き方が変わるだろうと言われている理由は、真面目なだけでなんの結果も実は出していなかった人間がリモートワークであぶり出されているからです。

まじめに会議に参加し、なにも発言せず、まじめに議事録だけ取っていたところで、会社の役にはたっていません。
でも、まじめな人に取っては自分がおかしいことをしている自覚はないと思います。

なぜならば、基準が他人、会社の言っていることだからです。
人間として恥ずべき行為を毎日しているのですが、気づきません。

「まじめが取り柄」ってまじめであることは取り柄でもなんでもないですから、無能だということです。

人は自分のやりたいことを自分の心に聴きながら行動し、起きたことについて感情をもって生きていくのが幸せなんだと思います。

まじめな人間はそんな人間のダイナミックさ、凄さを知らないまま死んでいくんだろうなと思います。
だから私はまじめに生きていこうとは思いません。

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