雑感(日記)

婚活アドバイザーの言うことの感想

最近、Youtubeを見ていると頼まないけど結婚相談所の所長とか相談員が、婚活についてレクチャーしている動画がよく出ます。

親切そうな顔はしていますが、すごいひっかけがあって「結婚相談所に来なければ結婚できない」という雰囲気を作っています。

私は50代なので結婚って、第二次世界大戦後(通称:戦後)こんな変遷を経てきたように感じています。

戦後結婚に至る過程の変化

第一世代

戦後から団塊の世代まではお見合い主流から恋愛結婚主流にじんわり変化しました。
その過程で当時の日本の若者はロック、ビートルズ、ジーンズ、反戦デモなどを主にアメリカから学びました。
彼らは現在の若者と違って、「知」を信じていました。
若者特有の「なぜ生まれてきたのか?なにをすべきか?」とうことに真正面から取り組み、ニーチェ、ヘーゲル、カント、西田幾多郎などの哲学書を紐解き、周囲の友人と議論もしました。
ちょっと利いた風なことをいいたいエゴの強い奴らはマルクス、レーニン、毛沢東などの共産主義という宗教に染まりました。
岩波書店の岩波文庫が売れている時代でした。

その中で男女問わずいろんな話をし、高尚な話で女を騙して(いや、女性は騙されたふりをして)エッチして結婚する、ということがしばしば行われていました。
日本中の若者はフォークソング(吉田拓郎、岡林信康など)を歌い、セックスをすることで保守的な日本の伝統を打破しようとしていました。

当時の学生は既存のものに反抗をし、大学、高校であらゆるテーマで学生運動をくりひろげました。樺美智子という女の子がデモ隊と警察の衝突で死んでしまったことが火に油をそそぐように大騒ぎになりました。(その後、あさま山荘事件を起こした連合赤軍という学生犯罪者集団は大量に男女を殺してるけどね)

お見合いはお見合いで、家との釣り合い、人格の保証を周囲の大人がやってくれていましたから、おとなしい人にとってはもってこいでした。

第二世代

若者の暴動に懲りた日本政府は後々の日本をダメにする制度を開発します。
(大前研一の研究による)
それは偏差値至上主義です。受験で偏差値が高い学生を優遇することにしました。
受験塾もわかりやすい流れに乗り、学生はすべて偏差値が定規となりました。
この結果、日本の若者は難しいけど受験に関係ないことをあえて学ぶという習慣をなくしました。
いまでこそ、スタンフォード大学の「これから「正義」の話をしよう」とか「マインドフルネス」がもてはやされていますが、そういう哲学のジャンルの議論は第1世代の日本の若者の間では普通に行われていたのです。

代わりに日本の若者に流行したことが「恋愛」でした。
ユーミン(荒井由実、松任谷由実)の歌声、すべての流行歌は男女の恋愛をテーマにしなきゃいけないと決まっているのか?というくらいそういう歌しかありませんでした。
電通は恋愛至上主義で日本中の若者を洗脳しました。自家用車、海外旅行の草わけJALパック、高級リゾート、高級レストラン、高級ホテルは分不相応な若者であふれ、女性ファッション誌、ポパイ、ブルータスなどマニュアル雑誌が大量に出回りました。
主題はいつも恋愛で、恋愛だけが人間の価値であるように若者は思い込まされました。

残念なことに遊ぶ資金の出どころは親です。慶応、成城、青山大学などのお坊ちゃん、お嬢ちゃんが流行を引っ張っていきました。
(親ほど稼げない、そういう奴らの成れの果てを知ってますが、それは置いておこう)

このように恋愛は見方を買えると消費生活です。そこから作り出されるものはせいぜい子供くらいです。
しかもテレビで放映されるあらゆるドラマは恋愛と結婚をゴールとしており、そこから先を語りませんでした。
若者たちは結婚した後の生活こそが辛く厳しい世の中を生きていくことだとは知らなかったのです。

恋愛気分の延長で結婚生活がうまくいかず離婚する人も多数いました。

1975年くらいから1995年の就職氷河期までは気の早い学生結婚、学生のころつきあって社会人3年目程度で結婚、社会人で見つけて社会人7年目程度で結婚。あとはない。
女性は”クリスマス”といい遅くとも25歳くらいまでには結婚する、という風潮でした。

第三世代

この恋愛至上主義はなくならないかに見えましたが、誰も勝てないのが不況でした。
しょせんみんなサラリーマンです。

バブルが崩壊したのみならず、1995年くらいからの就職が困難な時代になり、このころからの若者は恋愛より重要な生存に集中しなくてはならなくなりました。
学生の分際や社会人に2年3年目の給料では生活はギリギリ。しかも小泉政権が派遣のジャンルを大幅に増やしたため、すべての職場で正社員と派遣という二重労働条件がはびこり、報酬は叩きあいになりました。
ついに年収400万円、それ以下の人が大多数という世界の到来です。

高給取りのサラリーマンで構成される広告代理店、女性誌編集部、テレビ局だけがこの流れに気づけず、あいかわらず恋愛至上主義のキャンペーンを繰り広げましたが、インターネットとスマホの前には無力でした。
インターネットにより彼らは自らがすでに流行を作れていないことに気づかないまま、若者を洗脳する手段を失ったのです。
私達はこの三種類の変われない業種に、いまでも昔の華やかだった名残を見ることができます。
本屋に積み上げられた月刊誌にあいかわらず掲載されている一着2万5千円の「カジュアルな」シャツは、毎月いったい誰に向けたメッセージなのでしょうか?

余談ですが、テレビドラマのヒロインの仕事の多くは女性ファッション雑誌の編集部で、遅くまで残業をして、夜中にバーで飲んで遊んで、歩ける距離の高級マンションに帰ります。
残念なことに田舎の女の子はそういう生活が送れると信じて上京するようです。都心の高級マンションの家賃が出版社の薄給でまかなえるどころか上回ることを知らないのです。
で、現実においては見栄をはるためにサイドビジネスで風俗をやることになるわけです。
テレビドラマってひどい嘘つきですね。

ここで家庭のあり方が劇的に変わりました。
これまで家庭をもつことが経済的に損か得か語られたことはありませんでした。
今は当たり前ですが、今までなかったことが起きていることに気づいてください。
家庭に経済原理が持ち込まれることはなかったのです。
法律も夫婦であれば夫の給与とはいえ共同して稼いだとみなすという考え方をしていますよね?

家計を分離して経済原理を家庭に持ち込むという発想は結婚は家族をもつというよりも家などの不動産同様「家族を買う、サービスを受ける」という考えが根底にあります。形の上で結婚していても独身の男女が二人同居していることと、意識はあまり変わりません。

だから結婚相談所が流行るのです。
なぜならば結婚相談所は出会いから始まらず、スペックの比較から始まります。
なにか高額商品を購入する時と同じですよね。

状況がよくわかっていない人がそこに「好きになる」とか「恋愛」を持ち込みますが、それはうまくいくわけがないです。

なぜならば結婚相談所に参加している人々はよりよい家庭のためのパートナーを買いに来ているわけで、好きになるなんてことを期待しているわけないです。

恋愛は知らない人と知り合って、だんだんその人を知り、親に会おうかくらいの段階でプライベートなスペックを知るという、結婚相談所とは真反対のプロセスだって気づいてますかね?
だから多少のスペックの難点は惚れた弱みで目をつぶるし、だから結婚生活での難局においても比較的がんばれるのです。

そういう心を開けない人が結婚相談所に行くのです。スペックで結婚相手を探せば、自分もスペックで判断されて当然です。
人の気持ちを慮ることに無関心な人こそが結婚相談所で相手を見繕って購入するのでしょう。

「出会いがない」なんていっている人がいますが、周囲に気を回さないでスマホばかり見ていて出会いなんぞあるわけありません。
私の長い会社員生活で「出会いがない」と言っている人は目の前にいる周囲の人をコンプレックスからバカにしていた人ばかりです。
社内で三股かけたり、男性社員達を「怪物ランド」などと呼んでバカにしていた人こそ結婚できていないか、とんでもない物件を掴んでいます。
当時、引く手あまただった美人もアラフィフになれば誰も相手にしない孤独なBBAです。

そのコンプレックスをこじらせた人が結婚相談所で分不相応な条件を提示しているのではないでしょうか。

今後、

長い目で見たら結婚相談所で婚活して結婚するというパターンは消えると思います。
なぜならばそういう「購入した家庭」が続くと思えないのです。
続いている場合はお互いが「家庭を買うなんてこんなもの」と割り切っている場合でしょう。
しかし、それは男女がお互いにバカになって「結婚という夢」を一緒にやってみよう、という自らがリスクを負うと決意したものではありませんから、厳しい現実に遭遇した途端にダメだと返品、交換するのではないでしょうか。
宗教を持たない人は結婚式場でキリスト教の以下の「愛の誓い」で「誓います」って言ったこと自体、忘れていることでしょう。

あなたはここにいる〇〇を
病める時も、健やかなる時も、
富める時も、貧しき時も、
夫/妻として愛し、敬い、
慈しむ事を誓いますか?

買ってきた家族のために、神に誓えるのでしょうか?

ここから浮かび上がってくることがあります。
婚活によるスペックから入る結婚をするならば、スペックも自分も(許容範囲で)偽ることです。商品を売ることと同じなのです。
美人がいれば男性の90%は「なんで結婚相談所にいるの?」と美人局、詐欺を疑います。残りの10%は自分しか見えていませんから喜ぶでしょう。なら整形でもいいわけです。
女性が男性の年収を議論することは、家庭といいながら自分が贅沢したい、周囲に聞かれた時の見栄でしょう。
ならば多少盛ってもいいわけです。

大事なことは車と一緒でエンジンはどうでもよく、夫婦に見られたら他人にどう見えているかという外からの視線を相手は常に気にしているので、それに答えるということではないでしょうか?
そもそも結婚しようという考えも他人からの視線がモチベーションでしょう。
アラフォー、アラフィフなどで自分が夫、妻としての商品価値があるのでしょうか?
結婚相談所とはそういうところでしょう。

一方で結婚してお互いに温かい家庭というものがほしいならば、周囲の知り合いに心を開いてよい伴侶を恋愛から見つけていくしかないと思います。
腹を割って素直な意見交換をしなければ、お互いの思いやりなんて育めるわけもありません。
たとえ途中で打算が入っても惚れた弱みで前向きに見るというのが、生涯の伴侶間では大事だと思います。

 

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