サラリーマン思考の背後にあるもの

自分もやっているサラリーマンという商売は情けないもんだな、と思うことがありますわ。

自覚したのは某オーナー会社にいた時。

改定した就業規則を役員が声を出して読んでいた。

「使用人は。。。」

「使用人は。。。」

あー、そうだった。サラリーマンは使用人なんだよねぇ。

意外に大企業でもXX家が牛耳っている会社だと、XX家の使用人に露骨になっちゃう。サントリーとか。
この間、当のサントリーの会長が「ウチの人間はみんな使用人根性だから、外から人をいれた」

と自分で使用人にしていて、放言していた。

この人、以前、キリンとの合併話があった時もキリンが全体を支配するだけの株をくれる、と勝手に思い込んでいたことがある。
XX家の感性がよくわかる。

生まれながらの殿様って結構あちこちに21世紀でもいっぱいいるのよね。

でも、XX家があっていいこともあるんです。

私がいた会社の某オーナーがこういうことを言ったことがありました。

「それを決める方法が多数決でいいとは思えない。多数決で決めない方がいいこともあるやん」

サラリーマンは誰もが代替が効くという歴然たる事実があって、
多数決、公平しか考えられない頭脳になってますよね。

どんなに重要な仕事をしている自負があっても、仮に突然亡くなったとしましょう。
しばらくは大混乱ですよね。
それはそうです。
でも、一週間もすればなんとかなり、一ヶ月もすればいなかったように動くのが企業ってもんです。
実際、たまに交通事故でおなくなりになったりした後って見事にふさがれていきますからね。
(重要でないと思われたことは、それで終わってしまうってことがありますね。怖いことですが)

だから、サラリーマンは個性というものに本能的に敵意がある。

個性の最たるものが芸能人でしょう。
芸能人の名前は代わりがいませんから。
身近に売れている芸能人がいたら、心穏やかじゃないのがサラリーマンってものじゃないでしょうか。

ちょっと前に「半沢直樹」ってドラマが大人気になり、おそらく(推測だよ)TBSはこう考えたと思います。

池井戸さんの企業をからめたドラマが受けるんだ。
幸いプロデューサーも自社だ。この必勝パターンが大事で堺雅人がキーであるはずがない

ということで、もう時代から取り残されている唐沢寿明を使って「ルーズベルトゲーム」をやったんでしょう。

蓋を開けてみたら、視聴率は半分。
半沢直樹の余波で見始めた人が多いに決まっているから、並の視聴率にとどまったということでした。

唐沢の時代遅れな暑苦しい演技と前回とかぶった俳優が多いので、私は初回で見るのを辞めました。
ウチの人は「野球と企業って盛りすぎ」と言ってました。

成果の要素を「分析した」つもりになって失敗するパターンは巷でいくらでも見ます。
延々と何十年も繰り返されています。

世の中に出ている「うまくいっている理由」本のほぼすべてがそうです。
ごくたまに、セブン&アイグループの鈴木とか、ファーストリテイリングの柳井とかの個性を認めた評論は見かけます。

理由は「カリスマ」で終了。
それでいいのだと思います。

そこに「なぜ」を書いてしまったら、もう普通の分析本です。

要素を取り出しそれを踏襲すればいい、という分析志向が絶えないのは、サラリーマンとは代わりがいくらでも効くからではないでしょうか。

代わりのきかない人を認めたくない、という背後の思考があるからではないでしょうか。

それがしばしば
尖った人を認めたくない、
に繋がっていないでしょうか。

処世術としてはありかもしれません。

しかし、自分の目が曇らないようにしたいものです。

コメント