結果主義ではダメ

サラリーマンのふり

このタイトルについては、長年悩んでいました。

サラリーマンの世界ではしばしば
「結果がすべてなんだよぉ!」
といってはばからない風潮があります。

あまりに多くのおっさんが、当然のように言っています。
テレビドラマではエリート風の女性社員もそううそぶいています。
しかし、私はそれはまったく科学的ではない、と昔から思っていました。

というのも、競馬や株の必勝法と相通じる考えだからです。なにがなんだかわかんないけど、当たり馬券が入手できればそれでいい、値上がりする株がわかればそれでいい。

しかし、それで予想が外れた時どうするのでしょうね?

「そうならないように、努力する」
でしょうか? 他には?

はっきり言って笑えます。

努力は誰でもできる信仰は日本人にはとりわけ根強いものがあります。努力していれば、なんの考えもなくても道は開けるものだ、って。

この精神論で第二次世界大戦には負け、金融戦争には負けたのです。

自分のことではないから書いていいかも知れませんが、家人に「努力する能力」をもった人間がいるだけに、あなたや私の努力なんてしれたものだ、と言えます。
もともと本当に努力をし、自分の限界を知らない人間が「努力は誰にでもできる」なんていうことを言って恥じないのです。

そして努力信仰をしながら、科学的態度をとりたがる人も多いのは不思議なことです。

科学的に考えるのであれば、プロセスをクールに把握しておくことはとても大事です。なぜならば、うまくいかない時、欠陥が出た時、プロセスを知らないとカイゼンのしようもないのです。

こんな当たり前のことすら、「結果がすべて!」といっている人にはわからないのでしょう。

さらに言うならば、世の中は複雑系が基本であり、ちょっとした原因が大きく結果を変えること、実体は確率でしか捉えられることはない、ということもわからず、砲弾の弾道を計算するニュートン力学から、オツムが一歩も出ていない人が結果主義なのだと思います。

人間は知恵を振り絞り、体力をつくし、プロセスを少しでも目的とするところにたどり着くように細かく修正していくしかないのだと思います。
これが科学的態度なのではないでしょうか。

その過程で見つけたことが、次の糧になるのです。
ただ単に結果だけを追うのは、知恵のない焼き畑農業しかしらない人々と同じです。

こういうちょっと過激なことを上から目線で書いているのも、宋文洲さんが、最近のメルマガで同じことを書いておられたからです。

まぁ、それで「やっぱり、俺は間違ってないよね」と自信を与えられたから書いているのですが。

科学的にプロセスを把握する、ということは結果を求める以上に大事なことだ、と今なら言いきれます。

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