ロスト・シンボルの先

By ttakao, 2012年12月31日

ダン・ブラウンという作家がいて、最初にベストセラーになったのが「ダビンチ・コード」

次が(すでに出版されていた)「天使と悪魔」

で今回が、
ロスト・シンボル
日本でも話題になったのでご存知の方も多いだろうし、読まれた方もおられると思う。

が、こういう観点から読まれただろうか?

ダン・ブラウンの本がベストセラーになる理由はバックグラウンドが常にキリスト教だからである。学生のころ世界史でも習ったと思うけれど、中世からしばらくヨーロッパは政教一致。王様は現世を支配し、キリスト教は魂を支配する。たとえば、日本でバカ番組で有名になった「カノッサの屈辱」は9世紀にハインリッヒ四世がローマ教皇グレゴリウス7世に許しを請う話だが、魂が救済されない人は王とも見なされなかった。

キリスト教はイエス・キリストは人にして神の子であるから姦淫から生まれたとできずマリアの処女懐胎だし、人間の妻を娶ることもなかったとされる。歴史上の文献からイエス・キリストが実在したことは確かだが、結婚したかどうかはわからない。聖書のヒステリックな書き方から元娼婦のマグダラのマリアは実は妻だったのではないか、というのが「ダビンチ・コード」の背景である。

宗教とは倫理観まで決める。旧約聖書のモーゼの十戒に始まり、創造主の神は人間にやっていいこと、やってはいけないことを厳密に決め、悪魔の誘惑という試練を常に与え、堕落したものは地獄に堕ちるという恐怖のもとに人の思想と行動を縛ってきた。
一方、ガリレオの「それでも地球は丸い」以降、科学は事実の積み重ねで宇宙の神秘を解き明かしてきた。ご存知だろうが、アメリカ合衆国は成り立ちがピューリタンというキリスト教の原理主義者であるゆえ、地球が丸いことも進化論仮説も誤っているとまじめに考えている人はいる。
事実に反したが人が縛られ、縛られたがってきた宗教の役割とはなにかを背後に描いたのが「天使と悪魔」であった。

今回の「ロスト・シンボル」はフリーメーソンと聖書の話がバックグラウンドだ。フリーメーソンはエジプトのピラミッドの建築にかかわった石工達の組合が源流だという説があるくらい古い。数多くのシンボルを持つし秘密の教義をもつ。教義はとても古いため、いくつかの秘密は他で再発見され、いくつかの秘密は消え、いくつかの秘密は漏洩している。
アメリカの建国の父達がフリーメーソンのメンバーであったことは歴史上の事実だし、フリーメーソンはひとつの団体ではなく、いくつか団体があることも知られている。例えば、女性の参加を認めない団体もあれば認める団体もある。日本ではフリーメーソンについてはおどろおどろしいものにしておいたほうが、儲かる人が多いのでそういうことは語られない。私の感覚からすると、とても伝統のあるライオンズ・クラブなんだが。

さて、「ロスト・シンボル」でダン・ブラウンが少しだけ書いて全部を書かなかったことがある。それはフリーメーソンがシンボルとして隠した秘密の知識は単なる象徴にすぎないのか、この世を動かす本当の原理なのか、ということである。そして、その原理とはオカルトなのか、そうではないのか。
もともとキリストの言葉を書き留めた福音書は数多くあった。失われ、死海近くで発見された死海文書がとりざたされるのも「ユダによる福音書」という画期的なものが見つかったからだ。(ディスカバリーで放映された)
それがAD(キリスト死後)325年5月に行われたニケーア公会議で、聖書の標準が決められた時、時期尚早ということで多くのキリストの言葉が切り捨てられた。宗教教団の維持に都合のよい神学が採択されたということだ。それでも、聖書には次のような言葉が残っている。

神の王国は汝らの中にある
望めよ、さらば与えられん
あなたがたが、自分の子がパンを下さいと言うときに、誰が石を与えるだろうか。子が魚を下さいと言うのに誰が蛇を与えるだろうか。ならば、あなたがたが悪い者ではあっても、自分の子には良い物を与えることを知っているのです。 ならばなおのこと、天におられるあなたがたの父が、どうして、求める者たちに良いものを下さらないことがあろうか。

これらの言葉の新しい解釈は
神との対話で示されている。この本は奇書で、現代アメリカ人が神と対話をし、聖書やモーゼの十戒についての解釈についても書かれている。

 

ついでながら、この本では行動倫理までを縛る宗教を越え、最大の秘密は

この世のすべては神の一部である。当然、あなたも神の一部である。
神と会話をすることは一向に構わない。神から良い物を得なさい

である。(ここでいう神は創造主であり、神社仏閣の神ではない)

もっとも今の宗教に対立する言葉は

魂はどれだけ寄り道をしても最終的には神に帰る。それだけは決まっている。

これは、人は生まれながらに罪人である、とか、誰かに頼まなければ魂は救済されない、とか、いいことをすることで神と取引する、という理念の対極といってもいいだけに、激しい物議をいまだに醸し出している。
が、だんだん広まる考え方だろう。

よほど愚かで人間は物質だと思っている人以外は、自分の魂は気になる。
年末年始にいかがだろうか。

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